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043.青の薔薇 4
 丁重に通されたテラスは、外に面した壁が一面窓で、珍しく霧のように降る雨のせいで木々が煙っているのが良く見えた。
 外に咲くのは全て薔薇。
 赤く、白く、黄色く、色取り取りのその豪奢な花は大きさこそまばらではあったが全て丁寧に丹精された物だった。
 そういえば。天蓬は思う。
 昔から、牡丹や薔薇や、そういう派手な花を無邪気に喜ぶ人だったと、聞いていた。
「…天!」
 高い声に天蓬は細い顎を心持ち上げる。
 2階の手摺から身を乗り出すようにこちらを見ていた女性が、長い裾をひらひらと翻しながら階段を駆け下りた。
「…僕は逃げませんから、ゆっくり下りてくればいいでしょう?転びますよ?」
 言い終わる時にはもう、女性は目の前で顔を紅潮させていた。
 息が上がったせいだけではない。
「…良く言うわ。私やっと初めて貴方に会えたのよ?」
 くっきりした目鼻立ち。本人が牡丹の花のような美貌は、天蓬は一方的に知っていた。
 彼が幼い頃、育ててくれた女性の家に良く来ていた。
「はじめまして。大真王」
 天蓬は、ふわりと笑うと片手を胸に当てて軽く頭を下げた。
 そのまま、碧の瞳だけが上向いて大真王に当たる。
 その余りの艶に、彼女は背筋をゾクリと揺らした。
「それとも、東海青竜王夫人…とお呼びしましょうか?」
 女性である自分よりも遥かに挑発的な美貌。
「…名前で呼んで。じゃないと私も『傾城』って呼ぶわよ」
 返すと、天蓬は僅かに苦笑したようだった。
「では大真王。ちょっとお話を伺わせて貰いますね」
「ええ。座りましょう?今日は私の薔薇が良く見えなくて残念だけど。外を見ながらお話出来るわ」
 大真王の声に素直に従って天蓬はふかふかの椅子に腰をかける。
 その育ちもあって、天蓬は基本的にフェミニストだ。
 


 男性禁制の女仙界において、極秘のうちに育てられた天蓬。
 大真王レベルでも、噂でしか聞いていなかった傾城。



「…ココの家司をしている百龍の話なんですけどね」
 パサリと髪の毛を掻きあげる天蓬に、大真王は大きく吐息をついた。
「…せっかくお話しに来てくれたのに、そんな話なの?」





 
「百龍の話はヤメてよ」
 東海竜王の屋敷近くのカフェで、青いメイド服の女性達5人位は揃って眉を顰めた。
「アレ?そーなの?そんなヤな奴?」
 パチリ、と長い睫毛を瞬かせて、捲簾はコーヒーの湯気越しに女性達を見返した。
 東海竜王の家のメイド達の顔がトロリと蕩ける。
 彼女達が休憩に現れるカフェがあるという情報を元に、天蓬と分かれてココで張っていた捲簾である。女性の口説き方にかけては相棒の焔が到底及ばない腕前だ。
 基本的には寡黙な焔が口説けるのは天蓬だけだ。
「奥様狙いなのよ!もう本当露骨!竜王様が気付かないからって酷いわ!」
「気持ち悪いのよ。奥様も本当お困りで」
「自分の立場を考えなさいって感じよね!自分の仕える方の奥様よ?」
 ふーん、と捲簾は頬杖をついた。
 奥様というのは、今天蓬が会っている大真王だろう。
 どうやら真打の天蓬が登場した甲斐があったな、と捲簾は思う。
 滅多に自分は動かないヤツだから。
「あんなに貢いだって無駄なのよね」
「ね。大体竜王様が下さる物の方がよっぽど高級だもの」 
「…貢ぐ?」
 捲簾の反応を引き出せた事に気を良くして、メイド達は告げ口をするように揃って声をひそめた。
「それが凄いのよ。どうしても奥様を自分のものにしたいらしくて」
「この間も『貴女に相応しい、素晴らしい物を手に入れましたから』って。そんなの貰ったって心が動く訳無いのにね」
「オンナゴコロの判らない奴なんだ」
  長い指で灰皿の上の煙草をポン、と叩いて、捲簾は笑みを深めた。
「もっと詳しく教えてくれる?オンナゴコロ含めてさ」






「…身の程知らずですね」
 聞き終えた天蓬はすっぱりと断言し、大真王は噴き出した。
「酷い人ねえ。私はそこまで言えないわ」
「言ってあげたほうが相手の為でしょ」
 天蓬は女王然として片付ける。
 そりゃあこれだけの美貌ならばそういう台詞を言っても許されるかもしれないけれど。と大真王は思う。
「だって、どうしたって貴女は東海竜王が好きでしょうに」
 女仙界でも有名だった大真王の初恋。
 それを実らせた彼女である。恥ずかしそうに頷いたその表情は天蓬から見ても幸せそうな笑顔だった。
「竜王に言って、解任して貰えば良いじゃないですか」
「…あの人に迷惑かけたくないもの」
 大真王はスカートを握った。
「百龍って…何だか何するか判らない人だし。あの人が逆恨みされたら嫌だもの」
 可愛いなあ。と天蓬は素直に感心した。
「竜王は強いでしょう?」
「でも…やっぱり嫌よ。好きな人が怨まれるのって…天蓬はそう思わない?」
 天蓬は一瞬眼鏡の奥で考え込むような目の色になった。
「全然」
 しかし回答は即答だった。
「…天蓬、好きな人がいないんじゃないでしょうね」
「そうでもないんですけどね」
 何せヤツらはふざけてる位に強い。
 もし百龍が天蓬に近づいたら即座に2人に言って憂いを断つだろう天蓬だ。自分で出るまでもない。
「で、その『貴女に相応しい素晴らしい物』って、心当たりは?」
「無いわ」
 大真王は首を振った。
「じゃあ、質問を変えましょう。貴女が薔薇を好きだって事、彼は知っていますか?」
「ええ。今まで幾つも薔薇のモチーフの小物を渡してきたわ」
 突っ返したけど。と大真王は言う。昔は跳ねっ返りと評判だった少女だ。そう気が弱い訳でもない。
「じゃあ貴女は宝石は好きですか?」
「女ですもの。やっぱり好きよ」
「好きな色は?」
「ああ、それは百龍にも聞かれたわ」
 大真王はくすり、と意地悪っぽく笑った。
 そんな笑い方も魅力的だった。
「青、って答えたのよ。竜王の色だもの。でもあの人はそういう意味だなんて察してもくれなかったわ。『じゃあ、青い薔薇でもあれば貴女は喜んで下さいますか』なんて…」
「『青い薔薇』…」
 具体的に出てきた固有名詞に、天蓬は瞳を伏せて唇に白い手を当てた。
 捲簾の見たその宝石があるのなら。
 それは確かに大真王への貢物に相応しい。
 主人の妻を寝取る為に、それが有効だと思って、百龍は保有している下界人の家族を呪い殺して行ったのだろうか。
 生命が吹き込まれている事が信じ難い位の完成されたその容姿に、大真王は見惚れた。
「…青い薔薇なんて、本当は存在しないんだけれど…」
 大真王の独り言のような呟きに、天蓬の瞳がゆっくりと上がった。
 湖畔の碧。
 神秘的なその美貌。
「もし、そんなものがあったら、きっと私より貴方に合うと思うわ。綺麗で、神秘的で存在が信じられなくって、まるで貴方みたいだもの」
 何の気なしの感想だったが。
 天蓬はその台詞に微かに眼を見開き…。
「ありがとうございました。またお邪魔しますね」
 さっさと立ち上がると、そのまま部屋を後にした。
 大真王が後を追う隙すら無かった。
 あったとしても、大真王は追えなかっただろう。彼女はまた、呆然として椅子に座ったままだった。
 顔を伏せて、踵を返した一瞬。
 隠し切れない程染まった耳は、見間違いではなかっただろう。
「…何だか、凄いこと言ったかしら、私…」
 ぼんやりと大真王は呟くが、それは彼女のせいではない。
  



「お帰り」
 ミニ白龍が変化した車は軽自動車だった。
 白のビートルに似ている。
 その運転席に座って煙草をふかしていた捲簾は、助手席の扉が開いたのを確認してそう挨拶した。
 返事は無いが、気ままな女王相手ではそんな事を気にする必要は無い。
 ギアを入れ、車を出して捲簾は窓を開けた。
 すぐにバニラの匂いが車中に漂う。いつものタイミングだ。
「百龍が美人の奥さんへの横恋慕で下界から貢物を見繕った」
「同じです」
 ごく短い会話でお互いの情報を交換し合う。
 だが。
 何となく隣の雰囲気がいつもと違くて捲簾はカーブを曲がりながらチラリ、と横目で天蓬を見た。
 ぷい、と美貌が逸らされる。
「…天?」
「ちゃんと運転しなさい」
 高飛車な命令形ながら、天蓬は窓の外を見たままだ。
 捲簾は僅かに首を傾げると、ルームミラーの角度を助手席に向けた。
 嫌がるように天蓬は更に窓を向く。
 何かあったんだろうか。普通の恋人の様子がおかしい時の理由を幾つか捲連は考えたが、それらは頭の中でどんどん却下されていく。
 捲簾に対して何か怒っているのなら、眼を合わせない訳が無い。それはそれは綺麗な、捲簾が無条件降伏するような笑顔を武器にするだろう。
 更に、誰かに手でも出されたら、相手をボコにした挙句に静かに激怒する天蓬である。(まず暴力をふるってからゆっくり怒る辺りが彼だ)こんな、何だかまるで。
 拗ねているような。
 照れているような。
「天蓬」
「何です」
 返答はいつも通りだが、顔を合わせられない。
 何だか判らないながらも、捲簾は楽しそうにくしゃりと笑った。
「天蓬」
「何ですって言ってるでしょう」
「普通に可愛いんだけど。どーした?」
 流石にその言葉には即答出来ず、天蓬は見てもいない窓外の風景に顔を向けながら不満そうに眉を寄せた。
 何でこんな風に照れなければいけないのか。
 理不尽だとは思うが、実際顔も見れないのだから仕方ない。
「家に着く頃には戻ります」
「…イヤ、戻らなくても良いんだけどな」
「…ちょっと理解が遅かったんです」
 聡明すぎる程聡明な天蓬の言葉に、上機嫌な捲簾はもうツッ込まずにギアを落とした。




 家へは、ゆっくり帰る事に決めたのだった。









 そして。
 その次の日には、天界上空を何かが飛ぶことになる。




「アレは何だ!?」
 天界人が空を指差す。
「鳥だ!」
「飛行機だ!!」
「イヤ、そうは見えないだろアレ…」

 冷静な1人が突っ込んだ。
 ソレは人間に見えた。
 白いスーツに白いヒゲ。白い髪。微妙に胡散臭い笑顔。
 その背に白い翼が生えている。
 羽音が「ブーーーーーーーン」なのがちょっとどうかと思うのだが。
 そして大音響で突然流れ出すのは『ケン○ッキーの我が家』
「ケ○タッキー!?」
「何だかジ○ニーズの
滝沢君受みたいな名前だな!!」
「じゃあケンって誰だ!?
三宅か!?
 全く関係ないギャラリーの声を無視して、おじいさんロボットは上空を飛び回る。
 勿論これはジャニー○には何ら関係なく、某カーネルサ○ダース人形であったが、天界人は元ネタまでは判らなかった(その割には芸能ネタに詳しいが)
『こんにちは!!』
 太い男性の声がブーンと音を立てて飛び回るロボットから聞こえた。
『今日は良い天気ですね』
「そうですね!!」
 天界人が唱和する。笑ってい○ともネタまで判るのか天界人。
『私は、リュパーンしゃーんしぇーい』
「ルパン!?」
「ルパンだと!?」
「イヤ、だからこの状況で違ったらその方がイヤだろ…」
 一部冷静な天界人の上で、おじいさんは不気味な顔のまま、その腹の部分をウイーン、と開かせた。
『良い子の皆にパーティ○ーレル!!』
 天界人らは、何となく黙った。
『喰らえ!種類のスパイス!!』
「多いッ!!」

 
どよめく天界人の上に降り注ぐのは小さなカード。
 だが、塵も積もればマウンテン。
 雪崩れのようなカードに埋まり、天界人らは溺れた。
「ぎいやあああああああ!」
「何だコレは!!!!」
 天界人の一人が、そのメモに眼を留めた。




『予告状。
 天帝に、東海竜王家司より奉られる下界の宝石『青の薔薇』を頂きに参ります。
  ルパン三世』




「…なあ、アレ飛ばす理由が俺には判らないんだが」
 アジトの屋上の柵の上に危なげなく立って、捲簾は口調とは裏腹な笑みでその光景を見つめた。
「楽しいからです」
 腕を組んで、天蓬ははっきり言う。
「クールかと思えば遊び心も忘れない…お前の様々な面を見るたびに俺はいつも新たな感動に打ち震えるしか術がないのだ…お前の全てを知りたいと望む俺は神に挑む無謀な愚者にしか過ぎないのだろうか…」
 焔は羽織をバタバタはためかせながら浸る。いつもの事だ。
「楽しいな」
 捲簾は背伸びをして、混乱する町並みを見る。言っておくが手摺の上だ。
 どんな事も楽しくというのは捲簾のスタンスである。
「あの人形はどっから持ってきたんだよ」
有明店からちょっぱって来ました。自動操縦でそのまま下界に帰る手筈です。しかも予告状は放っておけば土に返るエコ用紙。抜かりはありません
「何と言う手回しの早さだ!流石俺の天蓬!地球にも優しいとはお前のその心の広さ・清らかさはあたかも…」
 まだまだ続く焔の滑らかな下の回転を聞き流して(ところで天界は地球に含まれるのだろうか)、天蓬は風に乱れる髪を白い指で抑えた。
「…さて。どう出ますかね。百龍?」
 碧の視線は真っ直ぐに東海竜王の屋敷に向かっていた。
何だかマイ設定の過去の影がチラホラと。さすがパロ。