天界でも余程の名門でないと住めない一角の中庭で子供の声がした。
「流石に熟練兵ばかりだが、その分我が目立つな。寄せ集めなのは確かなのだから、癖のある彼らを纏めるのは大変だろうと思うが…その辺りは時間と出陣回数が必要だろう。仕方ない」
「御意」
高齢の男が頭を下げる。
その前で子供は子供ながら風格の感じられる微笑を浮かべた。
「この軍はエリートコースだという風評が立っている。放逐されたがる者はいないだろう。そう心配することはないと、俺は思う」
高齢の男は子供を見つめると、御意、ともう1度呟いてその前を去った。
子供は、ここ最近の天界の話題を独占していた子供だった。
大事件であった『外戚及び宦官勢力大逆事件』において、巻き込まれた父を外戚の手から守り、天帝を守護する為にその桁外れな武術の腕を披露した、まだ子供。
話題にならないはずがない。
崩壊した外戚の館からは禁忌の実験室や私的なゲート跡も見つかり、また観世音の甥が不当に拘留されていたと主張した事もあって醜聞は高まり、その世論の動揺を鎮める為にも『小さな英雄』は大々的にもてはやされた。
軍部の上流筋に『闘神』称号の打診があり、子供はあっという間に軍部の重鎮となってしまった。
はっきり言って、男はこの子供を単なる飾りだと思っていた。闘神軍に配属された者全てがそう思っただろう。
だが、子供はただ飾られるだけでは無いらしい。
この子供は本物の闘神の資質を持つ子供なんだろうか、男はそう思ってちょっと身震いした。
武者震いという種類の物であった。
子供は、遠くなる高齢の男の背中を見送って大きく息をついた。
毅然とした姿勢は、たとえまだ今はハッタリでしかないとしても大事だと、彼はある一味から学んでいたのだ。
家へと入ろうとする背中に声が掛かったのは次の瞬間だった。
「元気そうだな、小闘神」
紫の眼を見開いたナタクは、勢い良く振り返った。
庭の桜の木の下。
はらはらと絶え間ない落花を受けながら微笑む長身。
黒髪、黒の服にグラデーションのかかった羽織。
鋭く澄んだ金瞳と、深く沈んだ蒼い瞳。
闘神と歌われるナタクが敵わない男。
「焔!!」
ナタクは彼に駆け寄ると細い腰に抱きついた。
受け止めた焔の手首で、その破壊力を戒める鎖が涼やかに鳴る。
「うわ、あれ以来じゃん!入れよ、みんな来てんの?捲簾は?…天蓬は!?」
子供らしくはしゃぐナタクに目元を緩ませ、焔はその頭を撫でた。
「悪いが俺1人だ。今日は…仕事でな」
仕事。ナタクは焔から離れると、いたずらっぽい瞳で長身を見上げた。
焔の本業は泥棒である。
華麗かつ小馬鹿にした態度で不可能に近い窃盗を可能にする犯罪集団。
その目的は『見たかったから』とか『気が向いたから何となく』などの気の抜ける物が多いのだが。
ナタクは知っている。
人助けが、その原因になることも多い。
彼らはそれを口にする事はないが。
「君の父上に、智恵を貸して貰いたい」
「うん、じゃあ入ってよ」
さっさとナタクは家へ上がると、父を探しに走った。
この一味の空気が、彼は大好きだったのだ。
「久しぶりだ…とでも言おうか」
焔に椅子を勧めて、李塔天は僅かに苦笑した。
「不思議な感じだな。お前らを客として迎えるのは…感謝の言葉の1つでも言わなくてはいけないのだろうが」
殺そうとした男から眼を逸らさずに李塔天は顎を撫でる。
彼は焔達を殺そうとした。
実際重傷を負わせ、けれど今、反逆者の汚名は全て外戚が負って地獄に落ちている。
自身は、闘神の父として尊敬を受ける身だ。
全ては彼らの計らいだった。
「礼など言われてもな」
焔はクールに返すと、背筋をピンと伸ばしたまま茶器を手にした。
「そんな事はどうでもいい。もう終わった事に興味は無い。…今日来たのはそんな為では無いのだ」
淡々と言う焔の口調はサバサバしていて厭味が無い。
最も、焔はメンバーの中で直接李塔天に関わっていなかった者である。これが捲簾だったりしたら李塔天も拘りが消えないだろう。焔を選んでこの役目に当てた天蓬の人選は間違っていない。
勿論、天蓬自身が来るのは論外である。
「今日の用事は天蓬が…」
「てーんーぽーうー!!!!」
ヒゲ男は突然奇声を上げると立ち上がった。そのまま椅子を押し倒すと椅子の脚に器用に4の字固めをして背凭れをバリバリ喰い始める。
何故だその行動。
「でーんーぼーおー!!!」
「お前さっきまでシリアス悪役だった筈では…」
自分は行けない、と言った天蓬の言葉の意味が焔には超実感出来た。
名前だけでここまでトリップする辺り、禁呪の後遺症(笑)は重症らしい。
「てーんー!」
「煩い」
焔の靴先が李塔天の腹に埋まり、オヤジはゴロゴロ床に転がって壁に激突する。
ハッ!と李塔天の目に正気が戻った。
「私は何を…?」
「一から十までお約束な目覚め方だな」
焔は自分の椅子に戻ると、腕を組んだ。
「いくら彼の方に関わる事とは言え、錯乱し過ぎだろう見苦しい」
イヤ、お前には言われたくないだろうよ焔。
気を取り直して、会話は進む。
「見てもらいたい図がある」
羽織の内側から出されたのは1枚の紙。
背凭れが半壊した椅子から身を乗り出して受け取り、李塔天はそれを読んだ。
「今なら半額!花びら大回転!女子大生・OL・モデル大多数!エロっ子と目指せ生本番」
「その裏だ」
2人とも真摯な顔を崩さずに会話が続く。
「…呪だな」
チラシの裏に書かれた紋様に、李塔天が呟いた。
「下界で捲簾が見たものだ。アレは視覚記憶能力もその再構成能力も訓練されている。多分そう狂いはないと思うが…覚えはあるか?」
捲簾。ピンクチラシの裏に描くな。
李塔天は、ふむ、と記憶を探る表情になった。
「て…彼は、これを見て西域で敬われていた神の一派だろうと判断した。1梵字に3光背。失われて久しい種類の呪だと」
天蓬の知識では、そこまでだった。
そこで、西域・禁呪とくれば李塔天が詳しいだろうと焔を此処に寄越したのだった。
「亜龍の呪だな」
李塔天は即答した。
天蓬関連には比類のないアホだが、その知識と実行力は天蓬も一目置く者である。
「龍に似て龍に非ず.元来竜種は高貴で神聖なるものだ。天界の竜王のように。だが、竜種の傍系…亜龍という存在がある。蛟・百足・蛇といった竜に似た体長のモノ。それらは神話上でも禍い成すモノとして出現する。その種類の呪殺だ」
「…そうか」
やはり、下界の子供は呪い殺されたのだ。
捲簾から話を聞いていた焔は眼を伏せる。
「この呪いを、物体に込める事はできるか?」
焔の言葉に、李塔天は首を横に振った。
「確かに呪いを何かに込めることは可能だ。罠のように一定条件下で作動させる呪もある…だが、これは詠唱が必要だ」
「…じゃ、やっぱり宝石の呪いじゃなかったんだ」
捲簾は、何処か安堵した表情で焔の報告を聞いた。
「随分その宝石に執心だな」
焔が笑う。実際捲簾が何かに拘る事自体が珍しい。それが美しいとはいえ只の鉱物なのだから尚更だ。
「…お前も、見たら判るよ」
捲簾は肩を竦める。
趣味も性格も違うくせに、嗜好だって全然違うのに、大事なものだけが何故か完全に同じな相棒だから。
「…となると、亜龍に関わる何者かがその子供を呪殺した事に間違いはありませんね」
天蓬は己の唇に指を当てた。
確かな事はそれ位だが、想像を逞しくすることは可能だ。
天界に、その宝石を収めさせる為に呪いを語らって次々に下界人を殺して行った。
そして『夢のお告げ』として自分の手にソレが入るように誘導した。
「その亜龍が首謀者なのかただの手駒か…己の手に宝石を握るのが目的かそれともそれを誰かに奉るつもりか…その辺りは判りませんけどね、ちょっと情報集めて来ます」
白衣をバサリ、と羽織って、天蓬は長い髪を襟元から引き出す。
1つ1つの動きが何故か人目を惹き付けて離さない。
「何処へ?」
うっとりと見惚れながら焔が問うのに、天蓬は毒のある微笑で答えた。
「竜絡みならば、やっぱり竜に聞かないとねv」
焔と捲簾の脳裏に、気難しい顔でマントを靡かせる白皙の竜王が浮かんだ。
即座にその肖像をモノクロに変換して黒いリボンを巻き、線香を供える2人である。
きっと天蓬に遊ばれるのだ。可哀想に。
面白そうだから付いて行こう、と2人は同時に思った。
「で、どうせですから、盗んじゃいましょう、その宝石」
あっさりと天蓬は言って、それこそが宝石のような輝きを持つ瞳を貫くように捲簾に当てた。
「貴方がそれほど言う宝石を、僕も見たくなりました」
『青の薔薇』に執着しているのは、天蓬を投影したからだというのに。
自分の影に妬いてどーすんだよ、とは賢明にも言わないまま、捲簾は緩む口元を抑えようと無理に顔を歪ませていた。