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024.もしもの話 4
 さて、捲簾と同時に侵入を果たした焔は裏に回り、いかにも怪しげな地下への階段を見つけていた。
 しかも「関係者以外立入禁止」の看板まである。かなり胡散臭い。
 もしかしたらここに金蝉がいるのかも知れない。
 そう思って潜り込んだ焔だったが、数十分もすると認識を変えた。
 通路の影でやり過ごす通行者は全て白衣。
 しかも全く侵入者の事など考えたことも無いらしく、焔は気配を殺すこともしなかった。
 そのうち息苦しくなって、変装すら解いている。
(…しかし、何故こんなに研究者が…)
 天蓬の白衣なら萌え〜vであるが、はっきりいってオヤジどもの白衣では萎える一方の焔である。着こなすことも出来ない奴らが天蓬の真似をした服を着るな!と焔は不機嫌になったが、その思考は余りにもツッコミ所が満載であった。
 また、前の通路から数人が歩いてくる気配がする。焔は周囲を見回して隠れる場所が無いことを確認すると、すぐ横の扉に向けて抜き身の刀を1振りした。
 室温に戻したバターを斬るようにあっけない手応えで鍵が断ち切られる。
 その中に長身を滑り込ませて足音をやり過ごし…部屋を出ようとした焔は微かに息を呑んだ。
 闇の中でも視力を損なわない金の片目が部屋の中のポットを捕らえる。
 中に浮かんでいるのが、既に原型を留めていない程変形した人間だと認識するのに、感情的に時間が掛かった。
 各色に束ねられたチューブに上から吊るされて、その物体は仄かに発光する液体に浸かっている。
 見渡せば5・6個のポットにそれぞれ1.2体が入っていた。
「…これは…」
 焔は無理して声を絞り出した。
 根源的な嫌悪感に押し潰される心を、声を発することでどうにか耐える。
 壁1面のコンピュータとディスプレイ。
 何かのデータを採り続ける処理音。
 振り切るように踵を返そうとした焔の視界に、何かが飛び込んだ。
 ポットの中の、もう片目しかない顔。
 その片目が、焔を捉えていた。
「…!!」
 焔は剣を横に薙いだ。チューブが音も立てずに切断される。硬質ガラスで出来たポットも滑らかな切断面を見せて砕かれた。
 直ぐに鳴る警報音も、焔は気にならない。全てのポットを叩き切ると、そのまま外に飛び出した。
「何だ!?」
「侵入者だ!!」
 科学者達が慌てて飛び出し、焔の片手にいとも軽々と握られた大剣を見て怯む。
「警護を呼べ!!」
「いや、でもここに入られるのは…」
「ナタク様は!?」
 混乱した科学者達は部屋を覗き込んで絶叫した。
「…研究成果が!!}
「ポットが!!」
 研究者の1人が恐怖も忘れて焔を睨みつけた。
「これで彼らは死ぬんだぞ!!人殺し!!」
  


 扉の外で立ち止まったまま、焔は人形のように端正な無表情を捨てて歯を食いしばった。


 
 あの、焔を映したポットの中の眼。
 それは、確かに理性があった。


 
 生きていたのだ。あんな身体にされて、歩くことも声を出すことも暴れる事も出来ないまま、狂うこともなく、正常だったのだアレは。



 その生命維持を断ち切ったのは確かに自分であり、人殺しの汚名は最もだが。


 
 自分の行動について、恋人や相棒に対して恥じる所は一切無かった。



「…お前ら、何をしていた?」
 焔の低い声に、科学者達は怯んだ。
「此処で…何をしていたんだ?彼らは」
「彼らは実験体」
 突然聞こえたのは子供の声で、焔は僅かに瞠目した。
 科学者達が道を開ける。白衣の間から現れたのは、その腰ほどの身長しか持たない子供だった。
 神経質なまでに後ろに纏めた髪。
 額に花菱。
 大きな瞳の余りの昏さがミスマッチだった。
「そして、俺が完成体」



「ナタク様、まだ調整が…」
「お前らで相手が出来るのか?」
 皮肉気な言葉を発すると、ナタクは持っていた大剣の鞘を払った。
「すぐ済む」
「それはどうかな」
 焔も剣を握り直した。
『…あの人を助けに来たのか?』
 言おうとして、ナタクは止めた。
『天』と名乗ったあの人をここに連行したのはついさっきだ。彼がルパン一味だとしても、金蝉を救出しに来たに過ぎないのだろう。
 神秘的なオッド・アイ。
 静謐で潔癖なその表情。
 出来れば、こういう人にあの人を助け出して貰いたいのに、と思いながらナタクは床を蹴った。
 彼の役目は、その願いとは完全に相反するものだった。


 
「…!」
 床を蹴った子供を視覚で追えず、焔は反射的に剣を横に構えた。 ガリ、という酷い音と共にお互いの剣が噛み合う。
 ――――そのまま押し切られそうになり、焔は手加減を止めた。
「…な…」
 至近距離でナタクの感情の無い眼が見える。
 その中に驚愕している焔が映っていた。
 剣戟で、自分と互角に渡り合える者がいるとは思っていなかった。
 しかも、こんな子供が。
 飛び離れ、子供は更に斬りかかる。
 焔はそれを流した。
「…へえ。強いね、アンタ」
 ナタクは少し笑った。
「でも、俺を傷つけないように、って思ってる以上俺には勝てない」
「そうかもな」
 焔も少し笑った。
 今までに無い苦境だ。剣を受け止めた腕が未だ重く痺れている。
 それでも焔は子供を傷つけるつもりは無かった。
 彼には誇りがあった。
 仲間達の前で己を恥じることのない誇りこそが、焔にとっては最も大事なものであった。



「…ほう、もう釣れたようだな」
 帯を締めなおしながら、李塔天はモニターを眺めた。
「君を救いに来たとなると早すぎるな。狙いは観世音の甥か…ほう、もう逃がしたらしいぞ」
 のろり、と天蓬はモニターを見つめる。粒子の粗いそこには闇に溶け込むような黒の軍服。
『待ってろ』と、彼は言ったのだ。 
 金蝉は救い出すから、と。
 彼はいつでも約束を守る。
「…こいつがルパンなのか?」
「さあ。どうでしょうね」
 天蓬の口調には全く熱が無い。身体を繋げたところで、彼の中に何かを残すことなど無いのだ。 
「…ルパンなのだったら、彼は君の恋人なのだろうな」
 李塔天は嗜虐的な微笑を浮かべた。
「あの男を君の目の前で殺したら、少しは可愛い態度も取れるかな?」
 天蓬は…相変わらず直視し難い美貌で李塔天を見つめると。
 ふわり、と微笑んだ。
 嘲弄でも媚びでもない、静かな微笑。
 それは、圧倒的な信頼だ。
 李塔天は目を細めると、何かをマイク越しに指示し、そのままマイクの隣にあるスイッチを2・3個押した。
 低い稼働音と共に横の壁が開く。 
 そこは丸天井の吹き抜け。
 ドーム状の部屋の中央に描かれている紋様は大呪を施されてうっすら光っている。
 下界へのゲートだ、と天蓬は見て取った。
「下界で私の夢は叶う」
 肩越しに振り返り、李塔天は深い眼差しでゲートを見つめた。
「君にも、それを見てもらいたい」
「超迷惑です」
 天蓬はしれっと言い捨てながら己のシャツで白い脚を拭った。
 キスマークを残すほどの余裕の無かった抱き方を覚えていたので、そのままシャツは捨てて、ズボンを履くと、上半身には白衣だけを引っ掛けた。
 白衣が白い肌を更に引き立てる。ぬめるようなその質感に先程の情欲を再び掻き立てられながら、李塔天はその細身を片腕で抱え込んだ。
「さあ、ショーの始まりだ」
 低い振動は、壁が動いた後もまだ続いている。
 その床がせり上がったのは次の瞬間だった。


 
 肩から半分滑り落ちた羽織の裾が、赤く染まっていた。
 いつもは空気よりも軽い剣が、今は構える事すら辛い。
 荒い息を抑えて、焔は視界を狭める流血を拭った。
 対峙しているナタクが不意に消える。
 天井近くまで跳躍したナタクに頭上から斬り伏せられ、防いだ刃が衝撃に耐え切れず焔の左肩に食い込んだ。
 そのまま力を振り絞って弾き飛ばす。身軽に着地したナタクは大きな瞳に賞賛を浮かべていた。
 この男は、自分に手加減しながら、ほぼ互角に渡り合っている。
 そんな人間がいるとは思わなかった。
 呼び寄せられた警備兵が2人の速さについていけずに、銃を構えてはまた銃口を下ろす事を繰り返している。  
 しかし、焔ももう限界だった。
 覚悟は決めたまま、しかし足掻けるだけ足掻いてやると決めたその時。
 ナタクは不意に剣先を下げ、天井を見上げた。
「ナタク様…?」
 ざわりと科学者が騒ぐ中、あっさりと剣を納める。
「父上のお呼びだ」
「な!」
 警備兵らも目を丸くしたが、『父上のお呼び』を妨げる者はいなかった。
「これだけ手負いだ。後はどうにでもなるだろう?」
 ナタクは感情を無くした声でそう言い捨て、踵を返した。
 その背後で、警備兵が3列に並んで銃口を焔に向ける。
 麻酔銃ではない。実弾だ。
「ナタク、と言ったか」
 それらを見渡して、呼吸を整えると焔はそう呼びかけた。
 声に反応して振り返るナタクに、薄っすらと浮かべる微笑。
「また会おう」
「…」
 この包囲網のなか、重症を負って彼は脱出するつもりらしい。
 返事をせずにナタクは階段を上がった。
 どうもルパン一味は彼のペースを揺さぶる者ばかりらしかった。
 そう思いながらナタクは階段を上る。
 父と、あの人のいる最上階へ。
 そこで、またルパン一味に会うことなど、彼は知らなかったのだが。



 鉄格子が振動する感触を掌で確かめ、捲簾は身構えた。
 大抵のことには動揺すら見せないヤツである。その床が突然浮上しても、僅かに体勢を崩した後に口元を笑いに歪ませたくらいだ。
 どうやら、鉄格子に挟まれたこの床はエレベータとなっているらしい。
「金持ちって色々考えるよなあ」
 呑気に感想を述べた捲簾は、突然明かりのついた吹き抜けの部屋に到着しても、全く平然としたまま辺りを見回した。
 そこに立つ少年と、男の片腕に抱え込まれた良く知った美貌を目にした時になって、ようやくその瞳は細まった。
 ナタクが、無表情のまま総毛立つような、そんな眼だった。



「ようこそ…君がルパンかね?」
 天蓬の腰を捕獲したまま、李塔天が口端を上げる。
 その腕の中、天蓬はいつも通りに倣岸な表情だ。
 しかし、シャツを身に付けていない事と、捲簾には隠しとおせない体調の不安定さに捲簾は肉食獣のようにゆっくり姿勢を下げた。
 飛び掛る前のようなその体制のまま、口調だけは軽い。
「残念だけど。俺らのボスはもっと暗躍が好きでさ。アンタの近くにいたとしても尻尾は掴ませないだろーね」
「ふん。貴様は雑魚か」
 李塔天は鼻を鳴らす。その足元の呪がどんどん光を増して行くのが捲簾にも判った。
 ゲートだ。おそらく下界への。
「どこ行くか知らねーけど。ソイツ置いてってくれねえ?」
「すいませんねえ。やっぱり人質って言ったら薄幸美人の僕の役どころかと思いまして」
 のほほん、と天蓬が首を傾げる。
 美人では有るが決して薄幸なんて可愛いものでは無いのだが。
「お前なあ、お留守番も出来ねえのかよ」
 呆れたように返す捲簾にも、全く焦りはない。
 己は鉄格子の中で。
 天蓬を人質に捕られていて。
 李塔天の手に、拳銃が握られても、尚。
 


「君はここで終わりだ。彼の事を気にする必要も無い」
 光が強くなる。
「経文を手に入れられなかったのは痛手だが、致命傷ではない。君を生かせておく価値は無いのだよ」
 間もなくゲートは彼ら3人を転送させるだろう。
「馬鹿言うんじゃねえよ」
 捲簾は低く笑った。
 ざわり、と腹の底から冷たくなった気がして、李塔天は息を呑んだ。
 捲簾の瞳が。気配が圧倒的に彼に襲い掛かっている。
 鉄格子の中に捕らわれながら、この場を支配しているのは紛れも無く捲簾だった。
「う…動くな!」
 恐慌寸前の李塔天の声と共に、俯いた天蓬の首筋に後ろから子供が長大な刃を当てる。
 それを見て、やっと李塔天は笑った。
「貴様は銃を持っているかもしれないが、私を撃つ前にこの子はこの綺麗な喉を断ち切るだろう…試させるか?」
 言い終わる前に、サイレンサーのついていない李塔天の銃が捲簾を貫いた。
 着弾の反動で身体を僅かに逸らせた捲簾は、それでも魔物めいた光の瞳を李塔天から外さない。その肩から黒い軍服に血が溢れ、それを見て勝利を確信した李塔天は恐怖を押し殺す為に更にその腿を撃ち抜いた。
「…!!」
 瞬間、ぐったりとしていた天蓬が咽喉もとの刃を膝で跳ね上げた。捲簾に呑まれていたナタクは予想外の攻撃に一瞬反応を遅らせ、その間に天蓬は繊手からは想像つかない力と乱暴さで李塔天の手から銃をもぎ取った。
 そのまま、銃口は壁に向く。先程李塔天が操作していた、マイクの傍のスイッチ。
 具合悪そうにしながらも、そして実際平常じゃなくても、天蓬は冷静に状況を把握していた。
 どのスイッチが何を支配しているか記憶する程度は。
 低い音を立てて捲簾の前の鉄格子が上がって行く。それを待てずに捲簾は、驚愕の表情を浮かべて天蓬から銃を奪い返した李塔天の額に、誰にも見えないスピードで抜き放った銃の照準を合わせた。
 李塔天は、混乱と恐怖に固まっていた。
 捲簾は、面には出さない怒りに突き動かされていた。
 天蓬は、とにかく捲簾を救い出す事しか考えていなかった。
 この一瞬の中で、多分1番冷静だったのはナタクだっただろう。
 彼は、剣を構え直すと



 捲簾に向けて白い手を伸ばした天蓬の背中を、袈裟懸けに斬り裂いた。



「…!!」
 白衣から飛び散る鮮血に、捲簾の瞳と指が固まる。
「父上!」
 崩れた天蓬を抱えて叫んだナタクに、李塔天が我に返る。
 己の醜態に顔を歪めると、彼は無言で袂から掌大の物体を取り出してピンを引き抜いた。 
「死ね!!」
「死ぬのはテメエだ!」
 ゲートはもう光に包まれている。
 3人はもう、足元から消えかけていた。
 崩れた天蓬の様子は、もう見えない。
 捲簾は殺意なんていう事場では表せない程の気迫で吠えた。
「テメエだけは俺が殺す。それまで待ってろ…!!」
 ゲートが閉じて行く。
「捲簾!」
 その声が自分の恋人のものだと認識して、捲簾は聴覚に全てを集中して身体を強張らせた。
「経文を、持ってきて…」
 声が途中で途切れる。
 傷を負いながらも天蓬は苦痛の見えない凛然とした声で、やっぱり捲簾に無茶を言う。
 捲簾は負傷した肩で荒く息をつくと、血だらけの脚で床を蹴った。
 天蓬が開けてくれた鉄格子の下部分の隙間に滑り込み、折の外に出るとそのまま窓へと走る。
 直後、彼の背中で手榴弾が爆発した。
 爆風と共に窓を突き破った捲簾は、そのまま底の見えない峡谷へと落ちていった。





 その頃。
 通路を駆け抜けていた焔は首に掛けていた赤い数珠の珠を引きちぎると後方に向かって投げた。
「うわ!!」
 赤い珠は床に落ちると煙を噴き出す。煙幕を張られて追手は混乱したが、所詮は僅かな時間稼ぎにしか過ぎない。
 地下施設は広いが、上へと上がれる階段は1つしかないらしい。それは勿論武装した警備兵で封鎖されているだろう。
 防災基準を無視した建築物だな、と焔は今に余りそぐわない事を思った。
 傷は負っていても、剣を握っている以上焔は脱出出来る自信はある。金蝉は気になるが自分に『人質がどうなってもいいのか!』という脅しが掛からない以上きっと抜け目の無い捲簾が救出したのだろう。そう思うことにしよう。
 もう血痕が変色しかけている羽織がたなびく。重症も疲労も感じさせずに駆け抜けていた焔の足が突然止まった。
 何かを察知したかのように金の瞳を細めると、剣を振り上げる。
「撃て!!」
 とうとう追いついた警備兵が叫んだ。その目前で焔が肩から羽織を投げる。 
 ふわりと広がった羽織は警備兵らの視界を遮り、次の瞬間には無数の銃弾に引き裂かれた。
「…」
 穴が開き、焦げた布がふわりふわりと床に落ちる。
 その向こうには焔はいなかった。
 ただ、壁に大きな穴。
 剣で切り開いたとは思えないほどに滑らかな切り口を見せていた。
「馬鹿な…」
 追手がそこから恐る恐る顔を出す。
 切り立った崖の、見えない底から巻き上がる風に、その前髪がすぐに乱された。
映画風なのでやっぱり危機一髪シーンがないとね。