『弱虫―――――っ!弱虫―――――っっ!』 

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存在理由 9
 激痛に、悟空は気絶し続ける事も出来ずに眼を開いた。
 見慣れた場所にいた。
 数日前に泊まった宿屋の前で、悟浄がエンジンを止める所だった。



「ご・・・じょ・・・」
 干上がった喉が、上手く音を立ててくれない。
 抉られた脚は酷く重く、感覚も無いくせに疼痛だけが止まらなかった。
 ――――――負けたんだ。
 その認識が突然悟空を襲った。
 自分達は負けたのだ。



 三蔵を守りきれなかった。



「さん、ぞ・・・」
 もう声にならない声で、腫れ上がった眼を必死で開いて悟空は周囲を見回す。
 黄金の髪は、すぐ傍らにあった。
 微かながら、規則正しく息をしている。 
 苦痛と屈辱にしかめられたその表情は、しかしやっぱり綺麗だった。
 ちゃんと、そこにいた。
 脱力感に悟空は三蔵の肩を抱き締める。
 壊れ物のように、そっと両腕でくるんで、小さく囁く。
「さんぞー・・・」



 今の自分の声は、ちゃんと届いているだろうか。



 三蔵の肩越しに、シートに力無く伸ばされた白い手を見つけた。
 三蔵に差し伸べられた、八戒の手。
 真っ白な顔色をして、それでも三蔵の方に手を伸ばしている八戒を見て、悟空には判った。
 八戒が、三蔵を助けてくれたのだ。



 八戒に誓ったのに
 三蔵を守るって



「八戒・・・八戒」
 八戒は動かない。



 この間の雨の夜のように。



「・・・起きたか・・・動けるか、サル」
 妙に抑揚の無い低い声がかかって、悟空は振り返った。
 悟浄は、背を向けたままだった。
「三蔵と八戒、宿に運べるな」
「・・・どういう意味だよ」
「ジープは借りてく」
 悟浄の声は低いままだ。
 悟空は息を呑んだ。
 渇いた喉が、引きつるように鳴った。
「・・・ふざけんな、行くつもりかよっ!」
「このまま負けられるかっ!!」
 自分が叫んだ倍以上の声で怒鳴り返され、悟空は悟浄の胸元を掴み上げた。
 抵抗せずに悟浄は身体を返し、やっとマトモに悟空は深紅の瞳と視線を合わせた。
 悟浄の、いつもの歪めて笑っているような崩した表情は消え去っている。
 余裕を削ぎ落としたその顔立は、怖いほど端正だった。
「俺が巻き込んだ。そのお陰でこいつらはこのザマだ!!」
 悟浄はハンドルからもぎ放した両手を白くなるまで握り締めていた。
 その両腕は、震えている。
 甘かった。
 1人で平気だと、己を過信していた。
 3人が来てくれた時は、単純に喜んだりもしたのだ。
 こんな結果になると判っていたなら、嬉しいなんて思ったりしなかったのに。
 聞いた事も無いような絶叫を上げる悟空の声が。
 その高潔な顔を踏みにじられる三蔵の姿が。
 ―――――血塗れになって力無く崩れる八戒の表情が。
 どうしても、どうしても悟浄の脳裏から離れない
 後悔なんて生易しいモノじゃない。
 もう1度



 もう1度奴の所に行かなくては



「1人で行って、勝てる訳ねーだろっ!あんな奴っ」
「だから、お前らは来んなッ!・・・最初っから、そういう予定だったろ」
 最初はそうだった。悟空は唇を噛む。
 悟浄1人で倒せない奴など、いると思ってなかったから。
 悟浄の身の心配は、ほとんどしていなかった。
 だけどそれは過去の話で。
 今更こんなことになった以上、そんな心境に戻れるはずが無いのに。



 悟空の腕の中で、不意に三蔵の呼吸が乱れた。
 いつも顔色すら滅多に変えない倣岸不遜な生臭坊主が、びっしりと冷汗をかいて細い喘声を漏らしている。
「さんぞ・・・っ」
 悟空が慌てた途端、視界の端から白い手が伸びた。
「・・・っ」
 八戒が、三蔵の指に、指を絡めようとする。
 消えそうな光が、そこから生まれた。
 四肢を強張らせていた三蔵の全身から力が抜ける。
「バカ野郎・・・っ」
 悟浄は胸元を形ばかり掴んでいた悟空の手を払いのけた。
 その手で八戒の手首を握って三蔵から引き剥がす。
 元々、とうに意識の無い八戒だ。細い腕は抵抗も無く悟浄に委ねられた。
 微弱な脈が、細い手首から悟浄の指に伝わる。
 こんなになっても、八戒は三蔵を助けようとしていた。
 彼らの光を。



 何の為に、己は自分のエゴで、仲間を捨てた上に巻き込んで。
 あの階段で
 あんなにも己を縛り付けていた『母』の幻影すら切り裂けたのは彼らのお陰だったのに。
 腕の中で生死の境を彷徨う、この柔らかく微笑む男が生きていてくれたから自分はここまで変われたのに。
 悟浄は、八戒の腕をそっと下ろした。
 今の自分には、八戒に触れる資格自体が無い。
 三蔵に合わせる顔も。
『置いていく』と言い切った彼が戻って来てくれるのは、1度口にした事を変える事の無い彼だから、生半可な事ではなかっただろうに。
 それを最悪な形で裏切った。



「悪ィ。2人を頼む」
 悟空から視線を離して悟浄は呟いた。
「奴の所に行くのか」
 三蔵が安定したのを確認して、ゆっくり座席に寝かせてから悟空も呟く。
「ああ」
「死にに行くんだ」
「――――ああ」
「1人で」
「そうだ」



「ふざけんなっっ!!」



 自分も半死人のくせして、悟空のパンチはかなり強烈に効いた。
 これ位仕方ないな、と悟浄は甘んじて受けた。
 悟空の、こういう反応は予測出来るものだったから。
 予測出来なかったのは、次のセリフだった。



「八戒を連れてけっ!!」



「・・・は?」
 このサル、頭ヤられたか、と顔中に書かれて見返され、悟空は歯がみした。
「お前、ヒトの話聞いてた?」
「聞いたよっ!もう、ふざけてんじゃねえって、すっげえ思ってるけどもう良いよ、死にに行きたいんだろ、止めねえよ、でも八戒も一緒に連れてけっ!!」
 激昂と絶叫で、元々貧血気味の悟空は頭がクラクラした。
 でも止まらない。
「連れていける訳ねーだろサル!!危険だろうが!俺はっ」
 悟浄の瞳が祈るように八戒に向いた。
 濁っているのに澄んでいて、強いくせに脆くて、自分を大切に甘やかしてくれた人。
 自分がいてくれて良かった、とこの世で一番綺麗に微笑んでくれた人。
「俺は、こいつには生きてて欲しいんだよ・・・っ」
「そうやってまた置いて行くのかよッ!!」
 間髪入れずに叫ばれ、目を見開いた悟浄の前で貧血を起こした悟空がグラリと斜めに傾いだ。
「・・・連れてってやってよ、悟浄。もう、俺あんな八戒・・・」
 ばたり、と倒れる悟空を、呆然と悟浄は見ていた。
「・・・何だよ、『あんな八戒』って・・・」
 意味が判らない。
 悟空は八戒を殺されたいとでもいうのだろうか。



「くそ・・・」
 取り敢えず深紅の髪をかき上げ、悟浄はジープを降りた。
 どちらにせよ、悟空が倒れた今、自分が3人を運ぶ以外無いのだった。

悟浄も苦しんでます。悟空がオトコマエかも。