『ワリ』

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存在理由 8
 扉へと駈け寄り3人が最初に目にしたのは、数珠で首を締め上げられ吊るされている悟浄だった。
 これ以上面倒増やされたくない三蔵がろくに照準も合わせずに引き金をひくのを、八戒は1歩下がって見つめていた。



 ただ、悟浄をフクロにするのは参加した。



「痛えなあ、俺が何したっつーんだよ」
 頭を抱えてボヤく悟浄を上から見下ろして、八戒は少し笑った。
「さあ」
 その2人のやりとりに悟空が再度飛び掛ろうとして三蔵に止められる。
 ニセモノでも、ホンモノでも、悟浄は八戒の気持ちを判ってないのだ。
 あんなに優しい、綺麗な八戒を、優しくて綺麗なだけのモノにしてしまったのは悟浄だったのに。
 八戒はそんな事を悟浄に悟られないように静かに笑っている。
 悟浄が気にしないように。
 怒って、なじって、掴みかかる権利が八戒にはあると、悟空は思うのに。
 自分だったら、きっとそうする。



 それとも八戒は
 そんな事すら、どうでも良くなってしまったんだろうか。



「やっぱり、空き缶を灰皿にしたからじゃないですかね」
 八戒はそんな事を言ってみせる。
 もう、考えるのは疲れたし
 彼を責めるつもりはないし。
 その『日常』で理由を作って、それでイイでしょう、と
 微笑む八戒を、悟浄は深紅の瞳で下から見上げた。
 額に微かにシワを寄せて見上げてくる真剣な瞳が、くしゃっと笑った拍子に和らぐ。



「ワリ」



『悪イ』



 あの日、背中で言われた言葉とオーバーラップする。



 本物だ―――――と
 八戒は実感して、笑う悟浄から目を逸らした。
 その仕草は『カミサマ』に声を掛けられたタイミングと合っていたので
 悟浄の不信感には直結しなかった。



 ニセモノに会った時はあんなに嬉しかったのに。
 ともすると震えそうな膝を抑えるのに精一杯だったというのに。
 どうして、今は
 心の何処かが冷え切ったままなのだろうと八戒は思う。
 やっと会えたのに。
 側にいて、自分を見て、笑ってくれたのに。
『僕が貰う』と宣言する男に、『あげるなんて言ってない』なんて言い返しながら
 その口調に重さが全く無い。



 彼は本当に自分のものだっただろうか。
 2人の間に深い絆が存在していただろうか。
 ―――――自分は、悟浄が好きだっただろうか
 そんな事すら判らない。
 悟浄を見て、自分の心がどう動いたか、そんな事も思い出せない。



 この『カミサマ』を倒して
 また4人で西に向かうのに。
 自分は、今までの『日常』に戻れるのだろうか。
 それがどんなものだったのかすら、もうこんなに遠いのに。



 その八戒の不安は
 想像外の形で外れた。





 悟浄の肩に担ぎ上げられる浮遊感に、微かに意識が戻る。
 酷い失血に視界が暗く、狭いが、後部座席に放り込まれたのは判った。
 続いて三蔵と悟空が投げ込まれたのも。
「逃げんだよ!」
 荒い悟浄の声に少し笑う。
 このメンバーで、それを思いつくのは悟浄だけだろう、きっと。
 そういう所が、確かに愛しかったのだ。



「逃がすかっ」



 その声と、迫る殺気に反射的に八戒は後方に身体を捻って上体を起こした。
 障壁を作って攻撃を防ぐ。
「八戒!」
「このまま走ってください!」
 悟浄が名前を呼ぶ声に叫び返す。



 石段を無理に降りるジープの振動にガクガクと身体が揺れた。
 この、己の状態で障壁を作っていては、間違いなく保たないという自覚は八戒にもある。
 けれど



 もう、何もかも遠くて、実感も湧かなくて、心も見失ったけれど
 それでも、悟浄を守りたいと、そう思ったこの突き上げるような衝動は本物だった。



「弱虫――――!弱虫い―――――っ!」



 遠くに声を聞きながら座席に崩れ落ちる。
 もう攻撃は来ない。
 闇に沈みそうになる意識を何とか繋ぎ止めて八戒は片手を伸ばした。
 まだ、やることがある。
 悟空に触れる―――――大丈夫。ショックで気絶はしているけれど、生命に別状は無い。
 だが…三蔵が危険だった。
 切れた唇から洩れる、途切れ途切れの呼吸。
 この人を、死なせる訳にはいかない。



 ほわん、とかすかな光が八戒と三蔵を繋ぐ。
 癒しの力を与えながら、八戒はゆっくりと息を吐いた。
 散々迷惑をかけてきた。
 その度に、方向を指し示してくれた光。
 三蔵に触れていない方の指が、急激に冷えてゆく。
 これが心臓まで及べば、自分は死ぬのだろうな、と八戒は思った。
 それを望んでいる己。



 悟浄を、どう想っていたのか判らなくなってしまった。
 どう接して良いのかも判らない。
 でも、このまま死ねたら、きっと悟浄は自分の変化に気付かない。
『八戒』への愛情は、何の疑いもないまま彼の心に刻まれるだろう。
 それはとても甘美な想像。



 花喃も、こんな想いで死んだのだろうか。



 それに、ここで死ねたら
 もう、2度と悟浄に置いて行かれなくて済む。



 パシン、と手が払われた。
 霞んだ目に、三蔵の白い手が見えた。
 きっと彼も、意識はないだろうに
 いつだって八戒を楽な方向には救ってくれないのだ―――――この最高僧は。



 もう、再び手を差し伸べる力も無い。
 八戒は目を閉じた。



 瞬時に落ちる暗闇に、ここから2度と目覚めなければ良いのに、と思った。
やっと出遭った58。でもこんな八戒さん。