『ああ、おはようございます三蔵、悟空』

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存在理由 5
 夜が明けて最初の八戒のセリフに、2人は全身から力が抜けていくのを感じた。
 放心していても、正常でも八戒は疲れる男である。
 もう、少なくとも馬鹿な真似はしないだろうと判断した三蔵は自室に戻ると毛布を被って寝てしまい。
 悟空はと言えば朝食だけは平らげて、やっぱり自室で爆眠した。



 そして八戒は1人、ベットの上で上半身を起こし、窓を伝う雨を見ていた。



『あのバ河童だけは俺がこの手で撃ち殺す。戻るぞ』
 三蔵はそう言った。
 その言葉は八戒の中でまだ収まっていない。
 本当に、戻って良いのだろうか。
 また、会って良いのだろうか。



 何となく、これからの悟浄を八戒は思い描いていた。
 あのコスプレ男を退治して、あの子供の仇を討って。
 愛されること無く裏切られた子供の魂を救う事で、愛されない子供だった自分の殻をまた1つ壊し、悟浄は更に成長するだろう。
 それから彼は…きっと自分達を追って来る事は無い。
 彼の決意はそれ位堅かった。
 普通に考えたって、こちらはジープで移動している。追いつく事は不可能。
 きっと彼はこの辺りの街に住み
 その人当たりの良さで、あっという間に溶け込んで
 あの、2人で過ごした街でのように知人を増やし
 でも、きっと
『寂しくて』『本気になるのが怖くて』やっていた、と冗談めいた口調で告げた女遊びはもう、しないだろう。
 それが、八戒が悟浄に影響を与えた、只一つの事。
 彼はきっと今度こそ、女性を本当に愛する事が出来る。
 そしていつの日にか
 また自分達はすれ違って、そしてもう二度と会わない。



 ---赤い髪が住居の2階から覗く。
 眼下の大通りは人で溢れ、紙吹雪が舞っていた。
『悟浄、私達も下に降りない?』
 高い声で興奮したように呼ばれ、悟浄は己の髪に付着した鮮やかな色の紙の破片を細い指で摘むと、煙草に火をつけた。
『ナニが楽しくてこの人ゴミの中出んのよ…』
『何言ってるのよ悟浄!今日は、あの大妖怪を倒した三蔵様御一行が長安に凱旋なさるのよ!?』
『三蔵サマ、ねえ…』
 するり、と毛先から紙を抜き取る。
 その髪は、短い。
 彼に深紅の戒めはもう、必要ない。
『凄いわよね、たった3人で大妖怪を倒したのよ?』
 可憐な女性は窓から身を乗り出すと、歓声を上げた。
『見て!見て悟浄!下を通られるわ!』
『あー…』
 長くなった煙草の灰を持て余して、悟浄の目は部屋の中に向く。
『灰皿どこだっけ。灰落ちそーなんですケド』
『んもう!いつもは空き缶でも何でも使うじゃない!今私それどころじゃないの!』
『そーだけどな…あ、あった』
 灰皿を見つけて、ポンと灰を落とし、やっと赤い瞳が下を向く。
 見えるのはもう後姿だけ。
『今位は、空き缶を灰皿にしたくない気分なんだよ』
 そう言うと、悟浄は愛しい娘の名を呼びながら、その腰を抱いた-------



「キュイ」
 白竜の声に八戒は不意に我に返った。
 眠った訳でもないのに、白昼夢を見ていた。
「なんちゃって」
 八戒はへらり、と笑うと白竜を優しく撫でる。
 何となく、ありそうな夢だったなと思う
 そうだったら良いな、という願望さえも含まれていた。
 その後の自分だって想像つく。
 帰って来ないと知りながら、あの家をずっと守るのだ。



 独りは、辛くない。
 相手に自分の全てを持っていかれるより余程辛くない。
 そうやって、きっと自分はまた逃避するのだ。



 だって『行かない』事を望んだのは自分なのだから。



 それでも、どうやら三蔵は悟浄を捕まえる気になったらしく
 三蔵の決定に逆らう気は、八戒には無い。
「複雑ですねえ、ジープ」
「キュイ」
 ジープが頷き、八戒は微笑む。
 嘘だ。
 酷く単純な事だ。



 悟浄が、切り捨てた筈の自分を見て、どんな顔をするかが怖いのだ。



 それを考えてしまっては、怖くて会えない。
 たとえ、どんなに会いたくても。
 本当は
 本当は今でも走って追いかけたい程に会いたくて、抱きつきたくて
 抱き締められたくて泣きそうでも。



 会いたい。
 一度そう思ってしまうと止められない。
 本当は、ほんとはずっと側にいたいのだ。
 側にいてほしかった。
 平気なはずがない。
 自分が、悟浄がいなくなって、平気なはずがない。
 悟浄の穴を埋めようだなんて、そんな自信過剰なことは初めから無理だった。



「ダメ…みたいです、悟浄…」



 毛布に包まれた膝を抱いて呟く。
 悟浄が居ないとダメだから
 悟浄を探しに行く。
 例え切り捨てられても
 追ってこられる事を望んでなくても。
「悟浄が居ないとダメなんだから、仕方ないですよね」
 弱々しい事を言いながら、唇が華麗に吊り上がる。
 開き直ったら、自分は強いと八戒は知っていた。



 今日が一日雨でも、明日になったら彼を追う。
 自分の為に。



 開き直った八戒は、自分達を探る者の目にも気付かず、毛布を被った。
自分達が牛魔王に負けるとは考えてない辺り、悲観的だか楽観的だか判りませんな、八戒。