『勝たなきゃ意味ねーじゃん!!』                                                                     

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存在理由 11
 麻雀卓を跳ね飛ばしそうな勢いで立ち上がった悟空を仰ぎ見るようにして、それから八戒は眼を伏せた。



 少し前まで、八戒と悟浄は昏睡する三蔵を見守っていた。
 三蔵の足元の椅子に逆向きに座り、背もたれの上に腕を組んでいる悟浄と
 対角線上のベットに腰をかけた八戒と。
 三蔵を気にしながら、眼を合わせずに2人はずっと黙っていた。
 置いていった事の負い目を今更感じている悟浄と。
 それすらもう、どうでも良くなってしまった八戒と。



 何となく、こうやって同じ部屋にいて、何も話をしなくってもお互いを感じている時間に、八戒は出て来た2人の家を思い出した。
 今の自分からは、あの家はとても遠かった。
 距離だけではなく、悟浄の存在を必要以上に意識している自分が。



 例えば
 きっと今度また悟浄がいなくなっても、自分はもう傷付かない。
 そうやってどんどん、どんどん感受性が摩滅して、強くなったと錯覚して、そうして死ぬ時も何も思わなくなるのだろう。



「―――しかし、どーなんのかね、これから」
 悟浄は冗談のような口調で呟くと煙草のパッケージを嫌な音を立てて引き裂いた。
「そうですね・・・まあ本来なら、あのカミサマというオトコを無視してこのまま西に進むという手もあるんですけど」
 八戒はいつもの口調で淡々と答える。
 でも、悟浄は気付いていた。
 やっぱり、視線が合わない。
 青白い顔の中で、唯一の色彩を放つ碧の瞳が、ちっとも上がらない。
「でも現実問題、あの男の力を考えたならば」
 端整過ぎて、無個性に近い容姿が人形じみて映る。
「僕らは勝てません」
 言い切った口調とは裏腹に、どうでもいいかのような動かない表情。
「・・・でも行くんだろ?」
 それでも、悟浄は問い掛けた。



「俺達は」



 視力を持っていない、飾り物の宝石のような瞳が初めて自分を捕らえたように悟浄は思った。
 ――――嘘みたいに、綺麗に笑った。



 久しぶりのその笑顔に、悟浄はちぎったパッケージを紙ふぶきのように舞い散らせた。
 心中に近い程の無謀さをあっさりと既定のものと了承してくれる八戒の、その潔さが好きだった。
 ――――こうすれば、サルは『連れて行け』と怒らないだろうか。
 悟浄はふと思った。
「パッと潔く散りますかあ」
 顎を上げて紙ふぶきを眺めた悟浄の赤い瞳が、少しだけ細まって八戒を見つめた。
 ――――ああ、キスしたがっている表情だな。
 そう、判っていながら八戒は笑顔で誤魔化すとさりげなく視線を外した。



 もう、貴方に与えられるものは何もない。



 そんな僅かな食い違いは、寝てれば良いのに乱闘となった最高僧と、いきなり麻雀大会に持ち込ませた悟空によってウヤムヤになってしまうのだが。



 牌を混ぜながら、八戒は他の3人を見ていた。
 突然の悟空の提案にあっさり乗った彼であったが、別に深い考えはない。
 ただ、悟空の言う事なら大抵は聞こうと思っていただけだった。
 彼が何をしたいのかは判らない。
 それでも八戒は構わなかったので、手際良く牌を並べる。
 先程の、悟浄の言葉がまだ耳の中で響いていた。



 俺達、という言葉で括ってくれるとは思わなかった。
 2人揃って、同意の上で散るなんて、贅沢すぎて願いもしなかった。
 そんな事が許されるのなら、あの男の語る『カミサマ』という名に値するとまで思った。



 金の大きな瞳を真剣にさせている悟空と、いつも以上に険しい顔の三蔵を両側に見て
 この2人は巻き込みたくないな、と八戒は思った。
 身体を裂かれるのを覚悟して、あの経文だけは取り返して、
 そしてジープに咥えて飛んで帰って来て貰えば、2人だけで西を目指してくれるだろうか。
 そこまで八戒は思って、細い吐息をついて笑った。
 それが、悟空と三蔵の命を惜しんで、だけでなく
 自分と悟浄の死に際に2人きりにさせて欲しいからだと判っている。
 邪魔者扱いをしているに過ぎないのだ。
 結局最後まで己のエゴだ、と。



 そんな事ばかり考えていたのでは、勝負に勝てるはずがなかった。



「――――勝たなきゃ意味ねーじゃん!!わっかんねーよ俺!!」
 叫ぶ悟空に、以前の悟空が重なる。
『三蔵は俺が守る』
 言い切った得意そうな表情。あの日に八戒に見せたもの。
 果たせなかったその言葉に、きっと誰よりも苦しんだのは悟空だっただろうに。
「生きたいと思って何が悪イんだよ、そんなん当たり前じゃん!!死ぬのが負けなら勝たなきゃ意味ねーよ!」



 いつからだっただろう。
 悟浄と、2人で生きる事を考えなくなったのは。



 彼の側にいたかった。
 彼と一緒にいたかった。



 それが叶えられなくなったあの夜から、自分は生きる事を放棄していたんじゃないだろうか。



 彼は戻ってきたのに。
 やり直せるのに。
 自分はあの夜いなくなった悟浄をいつまでも想っている。



 悟浄はちゃんと側にいるのに。




「うおわッ」
 国士無双をかました三蔵に全員が何となく笑って。
 まず悟空が床に伸び、三蔵が机に潰れて。
 自分も横になろうと身体を倒しかけた悟浄は真正面の八戒に髪をわしづかみにされて奇声を発した。
「は・・・八戒サン・・・?」
 八戒の眼が据わっている気がする。悟浄は頬を引きつらせながら大人しく従った。
 こういう時には抵抗しない方が良いという事は長年の付き合いで身に染みている悟浄である。
「そういえば・・・僕まだ怒ってもいませんでしたね」
 ボソリと呟かれた物騒な言葉に身に覚えの有り過ぎる悟浄はゴクリと喉を鳴らした。
「あ・・・のさー、まず、寝てからにしないかなー?とか、思うんですケド・・・」
 極低姿勢な悟浄の拒絶に、しかし八戒は何かを考えたらしい。
「・・・そうですね、怒るより先に」
 言葉が終らないうちにわしづかみにした腕に力が入った。
 悟浄が引き寄せられて、ゴツゴツした牌の上に思いっきり肘を突く。
 が、痛いと思うより前に悟浄の瞳は見開かれていた。
 長い睫毛が頬に当たっている。
 柔らかく受け止めたのは唇。
 突然のキスに悟浄がテクの発揮すら忘れて真っ白になっているうちに、八戒はさっさと身体を離した。
「は・・・っかい?」
 唖然としている悟浄の前で、ベットに身体を持たれかけさせると
 今日1日の中で文句なし極上の微笑を浮かべて
 更に骨抜きになった悟浄の胸板を突き飛ばした。
「イテっ!」
 反動で床に後頭部を強打した悟浄は、天井を見上げながらしかし口元を緩ませた。
「何だっつーのよ・・・」
 雀卓に片足を上げて、そのまま寝る体勢に持っていく。
 


 自分にだけ見せる種類の、八戒の微笑を久しぶりに見た気がした。
展開早くてスミマセンが八戒復活!!でも、奴の復活って却って厄介な気が。