「何だ」
自分の部屋を訪れた碧の目の佳人に、三蔵は事務的かつ端的な質問を投げかけた。
「作戦会議に来ました」
それに負けないくらいに淡々と八戒が答える。
枕元の椅子に勝手に腰を下ろすと、持ってきた茶器にお茶を注いで三蔵にも進めた。
「作戦の立案に必要なのは僕と貴方でしょう」
「余りの2人が使えないだけだがな」
2人が聞いたらそれぞれ武器を召喚しかねない事を、三蔵は言って茶を啜る。
「僕なりに作戦を考えてみたんですよ」
その発言に対するフォローをすることなく、八戒は続けた。
「連携プレーってやつなんですけどね」
眉間に皺が寄ってなお美貌を誇る最高僧様は、嫌そうな顔のまま頷いた。
彼のような孤高のプライドを持つ者にとっては屈辱的ではある策だが、今はそんな事を言っている場合では無いという事位、聡明でもある彼は判っていたので。
その内心をかなり正確に洞察して、八戒は椅子に深く座りなおした。
「悟浄と悟空には波状攻撃をして貰う事になるでしょうね。あの2人ならいつもケンカしている分、呼吸を読むことにも慣れていますし。悟空の突破力と悟浄の耐性の強さを僕は買ってますから」
これでもね。と、八戒は微笑む。綺麗だが喰えないいつもの笑みだ。
つい昨日までの彼との変わりように三蔵は鼻を鳴らしたが、自分もその点については同じだという自覚はある。
開き直って、やっと地に足がついた。そんな実感があるのは確かだ。
それでも、昨日までのアレもまた、自分だ。
「で?俺達は何をする」
その実感が三蔵にはある。
あの醜態もまた自分で。あの狂気はまだ自分の中にある。
八戒はどうなのだろうか。
自分より長く、自己否定に陥っていたこの男は。
何もなかったかのように落ち着いた微笑を浮かべているこの男は、完全にあの時の自分を捨て去れたのだろうか。
呑み込まれた絶望が深い程、そこから這い上がるのは難しい。
自分が本当に元に戻るのは、あのカミサマとやらを倒してからだと思う。
この男はどうだろうか、三蔵は紫暗の目を眇めた。
「僕達は、もう少し高度な事をしようかと」
暗に(というにはあからさまに)残りの2人を馬鹿にしてから、八戒はモノクルの角度を直した。
「波状攻撃で彼に動揺させます。僕達は往生際が悪いですから、彼に疲労を感じさせる事が出来ると思います。疲労は隙を生む。そこで初めて僕らに勝機が見えると思うんです」
「話が長い」
最高僧は不遜に吐き捨てた。
「すぐ済みますから最後まで聞いていて下さい」
八戒は更に邪険にあしらった。
「僕は障壁を作って、何度か彼の前に立ち塞がります。彼も僕が楯になることは判っている。それが次の隙です。つまりは僕が目前に立つという事は彼の視界を塞ぐ事だと、それを考えさせてはいけない」
「おい」
三蔵は不意に突き上げた嫌な予感に声を上げた。
八戒は今回も邪険に聞かないフリをした。
「彼が攻撃を放つ前に僕が前に立つ、という事は障壁を作る…防衛の為だと、彼は思うでしょう。まさか攻撃の為だとは思わない」
「おい、八戒」
「悟空の攻撃は棒術な為に直線的です。悟浄の攻撃は更に柔軟ではありますが鎖が視界に入る。僕の気孔は発光するので気付かれます。僕はあくまでも楯である存在ですから」
「おい!!」
とうとう叫んだ三蔵を真っ直ぐ見つめて、八戒は最後の言葉を口にした。
「貴方が彼を撃って下さい。僕の後ろ…彼の視覚から。勝機はそこだけです」
三蔵は肺が空になる程の吐息を洩らした。
「テメエ、良くそこまで好き勝手言えるな…」
「すぐ済みますから最後まで聞いて下さいって言ったでしょう」
あっさりと八戒は返した。
「テメエの障壁を貫くような弾を撃て、って訳じゃねえんだろ?」
「そんな事したら威力が落ちるじゃないですか」
そんな事まで確認しないと判らないんですか?と八戒は呆れたように片眉を上げてみせた。
呆れるのは三蔵の方だろう。客観的に見て。
「どうしても威力が落ちるのは否めませんから。これ以上落としたら致命傷にならないかも知れません」
威力が落ちるってのは、つまりテメエの体を貫通するからか、と三蔵は乱暴に金糸の髪を掻き上げた。
怒りと苛立ちに肺の傷まで疼いて来て、尚更彼を不快にさせた。
「やっぱり回復してねえじゃねえかその破滅思考と自虐癖!じゃあ何か、テメエはヤツの攻撃をマトモに喰らった挙句に撃たれるってのかよ。至れり尽くせりだなオイ。満足かよ」
そう一気に言い募ろうとして、珍しく三蔵は言葉を飲み込んだ。
「作戦としてはかなり確率が高いでしょう」
得意そうな顔を作って見せて、八戒が笑う。
その通りだった。
悔しいが、それ以上の策は三蔵には見つからない。
「僕はエゴでこういう策を作りました」
打って変わった静かな口調に、三蔵はそれでも表情を隠すように前髪を握り締めたままだった。
「だから貴方もエゴで賛成して下さい」
己が望むものは名誉の回復。
そして、師匠から受け継いだ経文。
勝たなければいけないのだ。
勝たなければ。
『勝たなきゃ意味ねーじゃん!』
叫んだ猿の言葉が脳裏をよぎる。
ヤツは、決してこんな意味で言ったのでは無いのだろうが。
それは良く判っているが。
勝つ為に手段を選ばない八戒。
それに同意しようとしている自分。
「何でこんな策を立てた」
「勝つ為…っていう以外、ですよね」
やっと顔を上げた三蔵に対し、八戒はゆっくりと目を伏せた。
三蔵を巻き込んでいる、という自覚はある。
だから正直に答えるべきだと思った。
「どんな事をしても勝ちたい…それは本心です。彼の為に僕の世界は滅茶苦茶にされた。全ての原因は彼にあるから。間近で…誰より間近であの顔が驚愕に歪むのを見たい」
台詞の陰惨さに比べれば八戒の表情は静かだった。
「それともう1つ。僕は悟浄の驚愕も見たい」
その表情は静かながら、揺らぐ気配も無かった。
「彼が、僕が死ぬときにどんな顔をするのか見たい。貴方の腕は良く知ってますから、きっと僕は死なないでしょうが、それでもきっと彼はそんな顔をするだろうから。相手に置いて行かれる気持ちを味わって、僕の気持ちを瞬間でも味わって欲しい。それが見たいんですよ、僕は。悪趣味ですか?」
「悪趣味だな」
あっさりと三蔵は片付けた。そのまま長い足をシーツから外に滑らす。
「…三蔵ッ、まだ動いては…」
そんなリアクションが返ってくると思わなかった八戒が制止する手を見もせずに、三蔵は立ち上がった。
「こんなトコで寝転がってグダグダ喋ってる時間が勿体ねえんだよ」
その表情はいつものやや機嫌悪そうなポーカーフェイス。
痛みも、苛立ちも侮蔑もそこには浮かんでいない。
「外で射撃練習でもする。テメエも奴らの顔を見れないまま死ぬ事になるのは不本意だろうが」
「…それは祟りそうですねえ。僕」
八戒はほえん、と笑った。
三蔵なら、共犯者になってくれると思っていた。
「馬鹿言え。速やかに黄泉路へ送ってやる」
と、一応は最高僧らしい台詞を言い捨てて、三蔵はドアの前に立つと、八戒に背中を向けたまま低く呟いた。
「判っているとは思うが口外するな」
「2人だけのヒミツvってやつですね」
からかっているのか天然なのか判らない八戒のいつもの口調に今度は返事もないままに扉が開かれ、部屋から1人が吐き出された。
八戒は小さく苦笑すると自分の茶器を干し、無人のベットに座ると、少し考えてそのまま仰向けに倒れこんだ。
微かに三蔵の匂いがした。
それに安心して、眼を閉じる。
今の身体は何よりも安息を求めていた。
「よくまー、そんなちっこい銃で当てるよな」
暫くして中庭で声がする。
「数日前の死にかけたツラとはえらい違いv」
自分も吹っ切れた顔で、何も知らずに悟浄はからかう。
「…忘れた、な」
投げ捨てられた煙草を狙い撃って、三蔵はそれだけを答える。
見事な腕に感心しつつ、悟浄は次の煙草を手にして揶揄した。
「でも三蔵サマ。相手は動かない訳でも無えし?そんなちっちぇえ所を狙わなくても良いんじゃね?」
その、変な鋭さは、コイツを救うより後悔させる方が多いだろうと。
三蔵は思いながらも銃に弾を込めた。
カミサマに乗り込む為に。
悟空は食料を食いまくり。
悟浄は筋トレに励み。
三蔵は動脈を傷つけないようにと僅かなブレもないように射撃の精度を磨き。
八戒は、己の生死の確率を少しでも生に傾けようと体力回復を目指し。
「ああ、それはそうと、僕なりに『カミサマ』の対処法について考えてみたんですが」
夕飯の席で八戒はしれっと言う。
「…こっちは4人だ。少し頭を使えばどうにでもなる」
策の半分しか口にしない八戒に合わせて口添えしながら、ポーカーフェイスのまま三蔵は眼鏡を外す。
すべては勝つ為に。