『悪ィな』 

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存在理由 1
 悟浄が悟空と同室を望み、その結果当然ながら八戒と同室になった三蔵は、シャワールームから出て部屋の電気が消されているのに気付くと形の良い片眉を跳ね上げた。
「あ、すみません三蔵。僕もう寝る準備しちゃってます」
 それを見ていたかのように膨らんだ方のベットから声がかかる。
 短い舌打ちが返答だった。
「…テメエはボケ老人かよ」
 時刻は7時。20代の健康な若者の就寝時間にはちょっと早い。
 しかしそれ以上を三蔵は言わず、空いている方のベットに滑り込んだ。
「頭乾かしました?」
「うるせえ」
「風邪ひきますよ」
「うるせえっつってんだろ」
「朝、ツンツンに跳ねますよ?」
「それが何だ」
「僕きっと指差して笑います」
 脱力感に三蔵は大きく吐息をついた。
 つくづく厄介なテンポの相手だ。
 素か計算か判らない辺りが最大級に厄介である。
「…乾かしたよ」
「それは良かった」
 本当に嬉しそうな声音で八戒は言う。
「三蔵」
「今度は何だ」
 安全装置を外しかねない低い声で狭量な坊主は呻く。
「お休みなさい」
「フン」
 毛布を顎まで引き上げてその端正な顔を埋め、三蔵は八戒に背を向けるように体勢を整えた。
 

「さっさと寝ろ」


 残念ながらその説法を、八戒は守れなかった。






 濃い睫毛を伏せている。
 緩やかな呼吸。
 軽く組んだ指を腹の上に乗せて。
 その体勢のまま、八戒はピクリとも動かなかった。
(さっさと寝ろ、って言われたんですけどねえ)
 そろそろ外は深夜と早朝の狭間だろうか。
 一睡も出来ていない。
 眠れるとも思っていなかった。
(三蔵を早寝させてしまいましたか)
 自分に付き合ってくれたのなんて判っている。
 こちらの顔を見ないように、電気も点けず。
 絡む自分を持て余しながらも会話を続けてくれて。
 眠れ、と言ってくれた三蔵。
 その優しさは染み透る位に判っているけれど、眠れるはずもなかった。
 鋭く張り詰めて、研ぎ澄まされた神経が休まらない。
 呼吸すら忘れそうな…緊張。
 

 不意に八戒の指がビクリと震えて、毛布を微かに揺らした。
 廊下を歩く人の気配。
 足音など立てるような真似はしない人だけど、殺した気配を察する事位出来る。
 唯一の、大事な人。
 悟浄の気配なら。


 

『悪ィな』




 あの謝罪が何に対してなのか、などと考えるまでもない。
 彼が…優しい彼が用済みになったからとあっさり殺された小さな、憐れな命をあのまま放って置くはずもない。
 彼がどうしたいのか、なんてそんな事判らない訳がない。
 自分にどうして貰いたいかだって判っている。
 あれは、置いていく者に対する謝罪。
 目的半ばで抜けて行く事に対する謝罪だ。
 そんな事は良く判ってる。
 判ってる。




 気配が、扉の前で止まった。
 息を止めて、八戒は組んだ指が白くなるまで力を込める。
 全身が総毛立っていた。
 今にも毛布を跳ね除けて扉を開き、彼と共に行きたかった。
 …でも、やはり身体は全く動かない。



 同じ物を見て
 同じ物を考え
 同じ事を感じていたのに


 同じ所へ行き着くはずだったのに


 どうして
 どうして僕達は



 気配が、また動き出した。
 遠ざかる、悟浄の存在。
 手が、じっとりと汗ばんでいるのを感じながら
 組んだ指を離せない。



 置いて行かれる
 その認識が純粋な恐怖として頭の先から全身を貫いた。



 悟浄の無念が、その真っ直ぐな憤りが、本当に彼らしくて
 だから彼の思い通りにさせたかった。
 それでも三蔵達を裏切る事に苦しむ彼を知っていたからこそ
 悟浄の分も、三蔵達の側に居ようと思っていた。
 それが彼の望みだと、そう思っていたけれど。
 もしかして彼は、全てを捨ててついて来て欲しかっただろうか。
 さっきまではあんなにも明確だった彼の気持ちが判らなくなっていて、八戒は愕然とした。
 彼の側に居たら、すぐに伝わるのに。
 …もう、確かめる事など出来ないのだ。ずっと。
 


 ドクドクと心臓が音を立てる。
 それなのに全身が酷く冷たい。



 1つ、確かな事は
『行かない』という事を選んだのは自分だという事。



 不意に腹の傷が引き攣れたように痛み
 八戒は乗せていた両手でそこを押さえた。
 自分は放っておけない傷を負って
 あの、優しい悟浄に拾われた。
 そして今、悟浄はもっと放っておけないモノを見つけて
 そして自分を捨てて行く。
 それは妙に首尾一貫しているな、と八戒は口元で笑った。
 自虐的思考に堕ちて安心する癖は、どうしても直らない。
 自覚しつつ、八戒はやっと小さく呼吸をした。
 もう少ししたら、陽が昇る。
 そうしたら朝食を作って、2人に食べさせ、残りをジープに積んで、そしてなるべく早くこの街を発つ。
 暗くなる寸前には、次の街に着くだろう。
 そうやって西へと自分達は進むのだ。
 例え1人欠けても。
 八戒は眼を閉じたまま、組んでいた指をほどいた。
 肩の力を抜く。
 それ位で眠れるとは思っていなかったが。
 そして
 きっと隣の三蔵もまた、眠れていないのだろうと思いながら。






『悟浄…?』



 朝、悟浄と悟空の部屋の扉を開き
 悟空のみが眠るベットを目にして
 自分の口から心底不思議そうな声が出た事に
 八戒は酷くおかしくなって
 目を伏せて笑った。
本当に今更な話ですが…八戒を虐めてやるのには格好の話なんですわコレ