ほの昏い夜の果て 15
 出発の日は、抜けるような青空だった。
 それに良く映える濃赤の髪を靡かせて、王子は傍らの男を見上げた。
「行こうか」
 爾燕はただ頷いた.彼の居場所は紅の横以外はないのだから、ついて行くだけだった。
「何だか、出発日和ですね」
 八戒は微笑んで隣の紅にそう言った。意気込みに僅かに頬を紅潮させて、紅は深く頷く。
「良い日和だ。俺達の未来を暗示していればいいな」
 そんな風に笑顔で話し合う2人を見て、ちょっと眼福だとか思ってしまった三蔵は、自分に若干呆れて視線を流した。
 けれど、当の紅が三蔵の方に近付いて行く。
「これも貴方のお陰だ。玄奘三蔵」
「別に。俺はお前らを匿っただけだ」
 三蔵はそう答えると落とした煙草を草履で踏みにじった。
 確かに表面はそうかもしれないが、三蔵が紅の陣営に付いたと表明した事は政治的に非常に大きい。大義名分だけで力の弱い紅と、大儀は無いが強力な義母の間で揺れていた妖怪達も、大義名分に仏教会の最高峰のバックが付いたら旗色を鮮明にするだろう。
 紅はこれから、道々で軍勢を集め、最終的には城を取り戻す旅に出る。
 困難ではあるだろうが、今までと比べればどうって事も無いだろう。
 紅には妹も、侍女も戻って来た。
 長安に居た、崇拝者の妖怪達も先陣を切って集まった。
 横には、何時も通りに爾燕がいる。

 そして。
 八戒と、悟浄が参加してくれる。

「じゃあな、八戒!ついでに悟浄!」
 悟空は無邪気にそう言って、八戒に飛びついた。
「元気でな!」
「悟空もね」
 悟空は残る。理由は明確で三蔵が残るからだ。三蔵の元には師の経文が戻った。今後はその研究が三蔵の最優先業務となる。
 ただ、もしも紅に危機が訪れたら。きっと強力な援軍として参加してくれるだろう。真打は最初から姿を見せる事は無いと、この固い最高僧は本気で思っている。
「じゃ、行きましょうか。悟浄!荷物持ってください」
「いきなり奴隷扱いッスか!」
 悟浄は涙に暮れた。せっかく恋人同士となったのに、八戒の仕打ちは酷い、と悟浄は自分の仕打ちも忘れて咽び泣く。
 その肩にポン、と李厘が手を置いた。
「あ、じゃあアタシのも宜しく」
「やっぱ荷物持ちかよ!お姫様!」
 咆える悟浄の左頬にはくっきりとアザが出来ている。赤く腫れている所ではない。青くなっている訳でもない。完全に紫な辺りが容赦無い。誰がやったかすぐ判るな、と紅以外の人間は八戒から目を逸らしながら思ったものだった。
 何だかんだ文句を言いながら荷物を持つ悟浄を見て、八戒はくすりと笑った。
 ああ、もう大丈夫だな、と。
 三蔵と爾燕は同時に思った。
 何があったか詳しくは判らないが、彼の雰囲気は落ち着いていた。
「…何だか八戒、ますますキレーになってない?」
 八戒の笑顔に見とれていた李厘が、隣の八百爾にコソコソ耳打ちする。
 八百爾は、清純そうに微笑んで答えた。
「ええ。やはり男の方を知ると色気が備わりますね」
「…八百爾ちゃん…?」
 李厘の引き攣った声は、出軍の声に掻き消された。

 八戒は悟浄が隣に並ぶのを待つ。
 悟浄は、今度は自分が義兄の役に立ちたいと、西に行きたいんだと八戒に説明した。
 八戒と離れるだけが目的では無かったと、そういう悟浄の言葉を八戒は聞いて納得した。
 八戒も、紅や爾燕が好きだし、李厘も八百爾も好きだから、それなら僕も行きましょうとそう答えた。
 悟浄が行きたいというのなら、付いて行くだけだ。
 長安を離れる事はそれほど抵抗は無い。きっと、逃げるからではないからだと八戒は思う。
 また帰ってくる。その時も悟浄と一緒だ。

 悟浄が荷物を持って、八戒に並んだ。
 お互い赤と緑の目を合わせて、視線で会話する。
 前には容易だった事。
 ここしばらく、ずっと出来なかった事。
 それが出来るのが嬉しくて、八戒は自分の荷物を受け取るふりをして、悟浄の指を握った。

 イタズラっぽい視線が、僅かに絡まる。

 一緒にいるのなら、何処だって構わない。
 長安は離れるが、悟浄からは離れない。
 それならば、何も構わないと八戒は青空の下で降り注ぐ陽射しに負けないくらいに笑った。
純愛はハッピーエンド。何だか物凄く身分違い(身分?)な話を書いた気が。