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099.プレゼント
 長安に、秋の雨が降っていた。




 何処からなどと特定出来ない遥か高みから地上へと降り注ぐ雨。
 高い位置でそれを見ている八戒の目線では、降ってくる始点も、地上に落ちる終点も見えない。
 八戒は小さく…しかし胸の奥から溜息をついて、濃い睫毛を伏せた。
 降り注ぐ雨。
 冷たい雨。
 それはあの日の記憶に繋がる断罪の雨。
 瞼を閉じても滲んでくる血の赤の記憶に薄い肩を震わせ、八戒は小さく…小さく呟いた。




「雨は…嫌いです…」




「…なーんて壊れ行く猪悟能を見るのは我としても望む所なんですが、身内を全員虐殺された身としてはそんな一言で済まされるってのもどうでしょうねえ…」
「外に出ないで暖ったかい部屋の中で取り敢えずモノローグだけカマスってのも中々大物だよ」
「あらあら。悟能は雨が嫌いなのねvじゃあこっちへいらっしゃいな、クッキー出来たのv」
 会話順に式神男自称カミサマ実の姉(元凶)である。そんなに脳天気で良いのか元凶。



 此処は長安のとある高級高層マンションの1室。揃っているのはいつものメンバーである。
 黙っているが、実は本物のカミサマである裸族の元帥もソコで大人しく紅茶を飲んでいた。
「…はい」
 姉に呼ばれて八戒が窓辺から椅子へと戻って来る。
 ちらり、と最後に窓に視線を当てて、吸い込まれる視線をもぎ離すように顔を背けるのを、天蓬はじっと見ていて口を開いた。
「…雨、嫌いなんですか」
 抑揚の無い癖に、背筋を舌先で舐めるような声である。
 慣れている上に鈍感な八戒はちょっと眉を下げて普通に頷いた。
「今は…みんながいてくれるから平気です。悟浄が帰って来ていれば全然だし…」
「我が一族の怨念はあのカッパ1匹で無効になるんですね…」
 清一色の呟きはその場の奴らには完全に耳に入っていない。
「でも、独りだと…ちょっと、苦手ですね…」
 八戒は消えそうな微笑を浮かべて膝の上に乗せている自分の両手を見て、そのまま俯いた。
 天蓬の眉が、無表情のまま寄る。
 天蓬と同じ顔のこの隣人の、天蓬が絶対浮かべない表情。
 それは女王元帥としてはお気に召さないものだ。
 天蓬は眉を寄せたまま、肩を落とす清一色の手の中の中華人形を見た。
 その視線は、その隣に座るカミサマの手の中で蠢く双頭の人形へと流れる。
「…ふーん」
 しばらくして、天蓬の唇からこれでもかという位に含んだ声がした。
 捲簾であればさっさと逃亡して1週間は潜伏するであろう声音だった。





「…で、ナニしてる訳お前」
 そして5日後。
 それ以来部屋に篭もったまま1度も下界にお出ましにならない元帥に、流石に捲簾が部屋のドアを蹴り開けた。
 どうも彼はドアを手で開いても構わないという事を知らないんだな、と天蓬は思った。
「見て判るでしょう」
「イヤ。さっぱり」

 捲簾は真顔で首を横に振る。
 雑然としている部屋は、いつもと違って本ではなく何かの部品で埋め尽くされていた。
 天蓬は溶接用の防護フードの向うから捲簾に対して眼を細めて見せる。
 その片手はハンダを握り、もう片手は部屋の隅のPCから伸びているケーブルを握っていた。
 身につけているのは流石にツナギだ。あちこちが塗装に汚れ、何だか袖口が焦げている。そんな状態であっても前全開にしている辺りは裸族のプライドだろうか。
 仕方ないですね、と天蓬は手に持っている物を投げると、手袋を抜いた。
 捲簾の片手に乗せられている、彼お手製のピザの誘惑に負けたとも言う。
「人間って、数十年しか生きないんですよ」
 天蓬は唐突に言って、ソファーの上を片手で薙いでそこに座った。
 隣に座って捲簾はミネラルウォーターのキャップを捩じ切った。
 天蓬との会話で話が飛ぶのには、捲簾はもう慣れている。
 決してはぐらかしている訳ではないので、捲簾は口出しをせずに黙って聞いた。
「だから、自分の生まれた時の日付を覚えていられるんですね。数十年しか生きられない命という事は、その1年の意義っていうのは僕達には想像出来ないほど大きい。分母の数が違うんですから。だから、誰かの生まれた日の事を人間は皆で祝います。毎年。天帝の誕生日というのは祭礼ですが、人間は1人1人まるで天帝のように祝う」
 ふんふん。指に付いたピザソースを舐めながら捲簾は頷いた。
 で、それが何だろう。
 同じように手についた紅いソースを何故か煽情的に舐め取りながら、天蓬は立ち上がると部屋の真ん中のに歩き、部品に埋もれたモノを発掘して掲げて見せた。
「そして…もうすぐ悟浄の誕生日なんです」
「成る程」
 捲簾は納得しながら素直に賞賛し、また本気で呆れるという器用な顔をした。
「で、ソレ?」
「はい。誕生日には『その人が一番嬉しいと思う』プレゼントをするのが習慣です」
 真面目な顔で天蓬は言う。
 その片手に在るモノを見て、捲簾はちょっと笑った。
 彼の相棒が紙一重の全てを垂れ流して作り上げたんだろう。
 天蓬はソレをまた床に置き、PC画面を見てからポンと手を打った。
「丁度イイですね。捲簾、参加しなさい」
「命令口調かよ」
 そう返す捲簾の声音と違って、その表情は笑ったままだった。
 天蓬は真顔のまま眼鏡を上げる。
「誕生日のプレゼントというのは本人に内緒で用意するのがです」
 通とかあるんだろうか。
「…オマエさ、下界の誕生日行事に参加したかっただけだろー」
 相変わらず鋭い所を突いて、捲簾はソファーから腰を浮かせた。
「俺も混ざる」
 その言葉に天蓬が笑い返す。
 いつもの艶の在る微笑みではなく、何だか2人ともいたずらっ子のような微笑みだった。




 そして悟浄の誕生日。
 1階下の住人達は悟浄の家にかなり大きな箱を持ち込んだ。
「誕生日プレゼント(です)」
 何だか変わったご近所さん達は、2人とも真顔でそう言って、そのままいつものメンバー達に混ざって『誕生日パーティー』を満喫していた。
 その間に悟浄はそのリボンを解いて…包装を解いて、下に金属の光沢を持つ箱を認めて凍りついた。
「…ナニコレ」
「プレゼントだけど」
 平然と捲簾が返すが、悟浄は厭な汗を背中に感じていた。
 金属の箱(しかも厚い)に入った馬鹿デカイ箱。
 しかも送り主はこの2人だ。
「ぷれぜント…」
 もはや発音もおかしい。
 爆弾だろうか。
 それならまだ良いが、などと思う悟浄は、この2人の事をかなり把握していた。
 そんな厭な汗を流している悟浄の肩を、ポン、と優しく八戒が叩いた。
「良かったですね悟浄。こんな大きな物v」
 大きければ良いんだろうか八戒。
 大きなつづらと小さなつづらの話を知らないのだろうか。
 八戒は興味津々でその箱を突付き、天蓬を振り返った。
「これ、どうやって開けるんですか?」
「外部からは開きません」
 天蓬は何だかプレゼントとしての定義を揺るがすような事を言った。
「条件が揃えば起動します。そうですね、明後日位だと思いますが」
 それって本当に爆発物じゃないんだろうか。
 魂を飛ばしている悟浄を、嬉しそうに八戒が振り返って笑った。
「うわあ、楽しみですねv悟浄!」
 オマエには危機感は無いのか。
 固まる悟浄に、後ろからカミサマが抱きついた。
 取り敢えず彼の全身に絡まっている数珠がゴツゴツ当たって痛い
「ごじょー!僕からもプ・レ・ゼ・ン・ト!!ベタに『僕がプレゼントv』とかやろうかとも思ったケドやっぱり全ての命はカミサマのオモチャだよ!!
 途端に足元にぶちまけられるエ○ァの超合金モデルに悟浄は絶叫して脚を抜いた。
「うわああッ!!走ってる、走ってるッ!!」
 がしょーん、がしょーん、と独特のフォルムで○ヴァ達は走り回る。延長プラグが容赦無く悟浄の足元に絡みついた。
「痛ェ!!オイ!うわ、喰うなっての!!」
 周囲で共食いを始める超合金の怖さに悟浄は半分涙目で八戒に縋りついた。
「八戒!八戒〜ッ!」
 八戒は何だか透明な笑みでその光景を見ている。
「おいカミ!!どういう事だコレ!!」
 喚く悟浄に、八戒は微笑んだ。
「スキって事さ…」
「引き摺られてる!!キャラ違うし!オマエは猪八戒だろうが!!
 叫ぶ悟浄の周囲で、共食いし続けるエヴ○はどんどん減っていく。
 そういえばコレもきっと元は人のタマシ…いや、考えまいと悟浄は心に決めた。
「おやおや…人形が揃ってしまいましたね」
 ひょい、と陰惨な光景を跨いで、清一色が長い袖から人形を取り出した。
「さあ沙悟浄…我の傑作ですよ…超高性能ダッチ!名付けて「喜bi組」!!」
 袖から出た人形は美女の顔をして、口をパカパカしながら『マンセー。マンセー』と唱えていた。
ヤバイだろそのネタ!!大体何処がダッチだそれ!口の部分が刃じゃねえか!!
 叫ぶ悟浄に、清一色はククク…と笑う。
「ムズカシイですねえ…」
難しく無ェよ!咥えさせたら千切る作戦だろーが!!」
 悟浄は真紅の髪を掻き毟った。こいつらはマトモに人を祝うつもりが在るのだろうか。
「あら、具合が悪いの?」
 弟と同じ血である『天然』を発揮した言葉を吐いて、花喃はその細腕からは想像つかない大きさのダンボールを悟浄の傍に置いた。
 何だか凄く重そうな音がした。
 それを満足そうに見て、花喃はふわり、と聖女のような微笑みを悟浄に向けた。
「私からのお祝いv挿入率90%超の長編萌本セットよ!(きっと某サークルの本が多いかと思われる)
「…うわあ…喜んでいいかどうか微妙だなー…」

 悟浄は大きく息をついた。
 それらのプレゼントのインパクトの余りの大きさに脳裏から、最初に貰った金属の箱は消えていた。
「…そういえば我の人形行方不明なんですけどね…」
 清一色の呟きも、今は捲簾しか聞いていなかった。




 そして。
 その夜『僕がプレゼントです…』もしくは『俺、オマエにどうしても貰いたいプレゼントがあるんだけど…』『何ですか悟浄。今日位は我儘聞いてあげますよ…』『オマエが欲しい…良いか?』『…はい、悟浄…』
 みたいな腐女子並妄想を掻き立てていた悟浄であったが、パーティーをお開きにした八戒は『久しぶりに疲れましたね』と言ったままソファーでうたた寝など始めてしまい。起こす事も出来ずに悟浄は彼をベットまで運ぶと生殺しのまま添い寝したりしたのだったが。





 そんな事は八戒は露知らず、誕生日から2日後。
 悟浄は稼ぎに行ってしまった。
 そして、八戒は1人でラグにペタリと座って、窓を見ていた。
 きっと。
 今夜は雨だ。
 その予想は外れずに、室内の明かりを反射していた窓ガラスは滲み出す。
 音を立てない雨。
 冷たさが沁みるような雨。
 断罪の雨だ。
 八戒は柔らかいラグに額をつけるようにうずくまった。
 手の平を見るのが厭で、でも何処かで見てしまいたい気がして。視界の外で手の平に爪を立てる。
 悟浄。
 呼んではいけない。彼は生活費を稼ぐのだ。八戒の為に。三蔵のお陰で住む処は確保しているが、生きていく為には食事もいるし洋服も必要だ。それらは全て八戒は悟浄に頼っている。
 だから、出て行くのを止める事なんて出来るはずが無い
 それは我儘過ぎる。有り難く思いこそすれ、行かないで欲しいなんて言えない。
 だけど。
「悟浄…」
 小さな、小さな声がした。
 彼がいてくれれば。
 外に雨が降っている事なんて、忘れてしまうのに。
 八戒が更に手の平に爪を立てた時。
 部屋の中で物音がした。
 八戒は驚いたように顔を上げた。





 そして悟浄も顔を上げた。 
 店の雰囲気が変わったのを、彼はその鋭敏な神経で察していた。
 勝負も一通り済ませた。いつもとそう変わらない勝率で、しかし6ケタ近い額を既に稼いでいる。休憩がてらカウンターでオンナノコ達とお話している最中だった。
 悟浄の真紅の瞳がまるで肉食獣のように異変の原因を探し…入口で止まって呆気に取られた。
 そこに、ただ立っているだけの存在が店中の雰囲気を支配していた。
 すらりと立つ長身は、それだけの視線を集めて気にもしていない。気が付いていないのではなく、気付いていながら完全に黙殺している。身体にまとうのは黒の膝丈毛皮のコート。尋常じゃない艶を放つソレは誰が見ても高級品だ。
 しかし、その人物は毛皮よりも目立っていた。
 その人物は悟浄を認めると、夜だというのに掛けていた大きなサングラスを思わせぶりに外した。現れたグリーンアイズは予想を裏切る所か予想以上であり、店内の人間は悟浄を残して全員硬直した。
 そんな周囲を見て、悟浄はこっそりと溜息をつく。免疫があるとは凄い物だ。悟浄はそこまで呑まれ切る事はなかった。
 その人物が黒のブーツの踵を鳴らして歩み寄った時、毛皮の合わせから膝上まで覗いたナマ肌にややふらついたが。
 その人物…天蓬は、座ったままの悟浄を尊大に上から見下ろして口端を淫蕩に上げた。
「…ナニ?」
 悟浄はちょっと厭な予感に引き気味に尋ねる。捲簾がこんな時に厭な顔になる気分が何だか良くわかった。
「顔貸しなさい」
 静まり返った店内に、可聴領域ギリギリの囁き声がする。
 店内のアチコチで股間を抑えて床に倒れる硬い音が続けて響き、悟浄は腰を上げた。
 ここで行かなければ、被害はきっと増大する。
 何だか次にこの店に顔を出す時が怖すぎて、悟浄はそれについて考えることを放棄した。
 天蓬は満足したように微笑むと、さっさと店を後にする。
 雨が降っている事に気付いて悟浄はちょっと眉を顰めた。
 傘を差す程では無いので、そのまま歩く。
「…何処行くの」
「家です」
 こちらも傘を持たずにサクサクと歩きながら天蓬は返す。煙草を咥える仕草に、道行く数人が溝に嵌まったのを視界の隅に映し、悟浄は瞬間意識を遠くした。
 何でこんなヤツと歩いてるんだろうか。
「…で、何でそんなカッコなの」
 そう聞かれて、天蓬はキョトンと眼を見開いた。
「え?だって夜の賭場でしょう?やっぱりこういう格好しなくちゃ」
 嵌まってはいたが、それはコスプレだと悟浄は思う。
 しかも賭場の女だソレは。
 やっぱりその毛皮の下は全裸ですかと聞こうとして、その返答が余りにも明らかだったので悟浄は尋ねるのを止めた。
 天蓬は煙草を咥えたまま、耳に填めたイヤリングを弄っている。その眼が細まると、彼は悟浄にもう片方のイヤリングを渡した。
「コレ填めてください」
 口調は丁寧ながら、その意味は強制だ。
 もう抵抗する気力も無い悟浄は大人しくソレをつけた。
 そのイヤリングに手を伸ばし、天蓬の指が金具を捻る。
 途端に何だか細い金属がイヤリングからするする伸びて来た。マイクのようだ。
「…あの、天蓬サン?」
 ナニが何だか判らないこの状況に悟浄がやっと文句を口にしようとした時。
 ジーンズに包まれた、彼の足が止まった。
 真紅の眼を見開く。
 イヤリングからは、間違え様の無い声がしていた。
 隣の『美人というよりは何でも在り』の存在と似た…でも、より優しい囁き声。
 八戒の声だった。




 八戒は、部屋の隅にある箱を見つめていた。
 一昨日悟浄がプレゼントに貰っていた金属の箱の蓋が、静かな電子音と共に開いていた。
 固まったまま見つめる八戒の視線の先に、ひょこり、と何かが現れた。
 紅い、触覚だった。
 それは暫く何かを探すようにゆらゆらと回転し、八戒にその先を向けると固定した。
 ぴとり、と箱の縁に小さな手が掛かった。
『よいしょ、よいしょ』
 中から声がする。
 その声に八戒は眼を瞬かせた。
 悟浄の声だ。
『よいしょ』
 ぐん、と紅い塊が八戒の視界に入った。
 金属の縁から、小さな顔が覗いている。
 肩先で揃った、真っ直ぐな赤い髪。
 そこから2本飛び出した触角。
 真ん丸の紅い眼。鼻は無い。
 ソレは、箱によじ登っていたが、頭の重さに負けてそのまま外側に転がり落ちた。
「…!」
 思わず八戒は身を投げ出すようにして両手で落下する物体を受け止めた。
 腕の中を、八戒は眼をパチリと瞬かせて見る。
 それは人形だった。
 4頭身の、赤い髪と赤い目の人形。
 それは、真ん丸な眼で八戒を映すと、驚くほど柔らかく笑った。
『ありがと八戒』
 悟浄の声。
「…悟浄?」
 思わず洩らした八戒の声に、紅い触覚がゆらゆら揺れた。
『そう。俺はゴジョー』
 驚くほど単純な顔の造りの癖に、何だかヤケに真剣そうな顔になって、ゴジョーと名乗った人形は滑らかに八戒の腕から床に降りた。
 そして、驚くべき2足歩行で、タッタカと窓辺に走り、カーテンを閉める。
 きっちりと閉められたカーテンを前に、偉そうに腰に手を当てて胸を反らすと、ちっちゃいゴジョーはまた、タッタカと八戒の傍にやって来た。
『大丈夫?』
 顎を上げるようにして見上げて、ゴジョーはそう悟浄の声で尋ねた。
「え?何が…」
 八戒が聞き返すと、ゴジョーの触覚がふよふよと窓を指した。
『雨。雨降ってるからさ』 
 ビクリと竦む八戒が思わず両手を握り締める。そちらに顔を向けたゴジョーはモニターに異常を見つけたのか、小さな手で八戒の手を取った。
 手の平に、三日月形に食い込んだ爪の跡。
『大丈夫じゃないな』
 単純な線の眉毛がハの字になる。慌てて八戒は人形相手に首を横に振った。
「いえ、えっと…さっき、ちょっとヤっちゃいましたけど、でも、もう平気ですから…」
 ちっとも判らない。
 しかも彼の『ヤっちゃいましたv』は偉く怖い。
 しかしゴジョーは慌てる八戒を見上げて、ちょっとだけ首を傾げた。
 凄い安定感を誇る体である。
『大丈夫?』
 八戒は今度は首を縦に勢い良く振った。
 ゴジョーが、嬉しそうに笑った。
 何だか、それが本当のゴジョーの笑顔とダブって、八戒も思わず笑った。
 ゴジョーはぽてり、と八戒の膝に凭れて、ポン、ポン、とゆっくり八戒の手を叩いた。
『大丈夫だよ、大丈夫だよ』
 ゴジョーはそう言う。
『俺がいるから、大丈夫』
 その言葉に、八戒は泣く寸前のような眼のまま、綺麗に微笑んだ。
「ありがとう、ゴジョー…」
 ゴジョーはちょっと顔を上げた。
 触覚がゆらゆら揺れる。
 そのまま、人形の顔はにっこり笑った。
『悟浄もすぐ帰ってくるからさ』
「…帰って来てくれますかね…」
 小さい声に、ゴジョーは頷く。
『帰ってくるよ。だって悟浄も早く八戒に会いたいもん』
 小さいゴジョーの一生懸命な様子に、八戒は何だか暖かい気持ちになってゴジョーに額をくっつけた。
「そおですかね」
『そおだよ』
「そおだと、良いな…」
 八戒は、笑いながら目を伏せた。
「僕も、早く会いたいです」
 ゴジョーはゆらゆらと紅い触覚を揺らしながら答えた。
『もうすぐだよ。今玄関の前に立ってる』
「え…」
 八戒は座っていたラグから飛び起きた。
 脚をもつれさせながら鍵を開ける。


 直後。
 雨を含んだ皮ジャケットの腕に抱き締められた。
「ご…じょ…」
 掠れた八戒の声に、悟浄は更に腕に力を込めながら囁いた。
「ただいま、八戒」
 その声は、トコトコと八戒の足元まで来ていたゴジョーと、同時に出た。
 濡れたジャケットにくっついた自分の頬が湿るのを感じて、八戒は眼を伏せた。
 そう言えば、雨が降っていたんだった。
 すっかり。
 忘れていた。




 結局、『俺がいるから大丈夫』から悟浄がマイクを通して人形のゴジョーをスピーカーにしていたのだが。
 その夜は何だかヤケにラブラブした58であり。
 翌日、使い方だけ悟浄に教えて別行動を取っていた(人形の行動だけ会話を聞きながらマニュアルで入れていた)天蓬が捲簾と共に最上階に呼ばれる事となる。
「で…コレ、何な訳?」
 悟浄に聞かれ、ゴジョーを指差された天蓬は、偉そうに眼鏡を指で押し上げた。

「KT−58型自律走行ロボット『バカッパ』ver.1.00です」

 何だか聞く前より疑問が増えた気がする悟浄である。
「うわあ、いいなあ!」
 ゴジョーを抱き上げてカミサマはにっこにっこ笑った。ゴジョーもニコニコ笑う。その頬を突付いて清一色は天蓬を見た。
「で?動力は牌ですか
魂でしょ?
 普通の動力を考えてくれ2人とも。
「うーん、電機仕掛けでしょうか…」
 首を傾げた八戒に向かって、ゴジョーが頑張って手を伸ばす。気付いたカミサマがゴジョーを八戒に渡した。
 八戒に抱かれてゴジョーは嬉しそうに笑う。
「…原子力とかじゃねーだろーな」 
 天蓬ならやりかねないと思う悟浄であるが、紙一重の天才は長い髪を揺らしながら首を横に振り、八戒に近付くと、突然ゴジョーの赤頭に手を掛けた。
 カシャン、と音がして、ゴジョーの頭の天辺が開く。
 タライのようにへこんだその部分には、タライのように水が溜まっていた。



「水力発電です」

 マジかよ。



「良いですか八戒、1週間に1回はココ開けて水補給してあげて下さいね。コップ1杯で足りるとは思いますが、河童は頭の水が乾くと死んでしまいます
 天蓬の真顔に、八戒は真剣に頷いた。
「判りました」
「何を!?」
 悟浄は地団駄を踏む。
「天蓬!テメエ俺を馬鹿にしてるだろうッ!」
 叫ばれて、天蓬はクールな眼差しを悟浄に向けた。
「今更何言ってるんですか。僕が貴方を馬鹿にしなかった事が1回でもありましたか?
 そんな切り返しってどうよ。
 思いながら捲簾は部屋の壁に凭れて腕を組んでいる。
 ゴジョーの紅い真ん丸な眼が、捲簾を映した。
 あのマンガ眼には高解析度を誇るレンズが埋め込まれ、サーモグラフィ性能や個体認識機能を持っている。柔らかい人工皮膚の下には表情筋に似た弾力性のある素材が使われ、その口から出るのは予め録音された声1000種類(昨日の声は捲簾が悟浄の真似をして録音した声だったが、きっと改めて今度は悟浄が吹き込むのだろう)。それを相手の言語を解析して会話のように返す。外部の声を出力する切り替え機能は昨日実証済みで、それに加えてこの2足歩行を含めた滑らかな動き、行動パターンの豊富さ。
 それら全てを登載して尚軽量・ミニサイズ。動作音も最小に絞り、熱量も遮断。
 こんな高性能ロボットが水力発電で動くはずがないと、下界よりは文化の進んでいる天界に住む捲簾は判る。
 大体頭の天辺にちょっと水溜めただけで何が水力発電だ。
 思ったが、捲簾は黙っていた。同じ顔の男が徹底的に馬鹿にされているのに見てるだけな辺りが捲簾らしい。
 どうやってパチったのか、さすが優秀な軍人と言うか、天蓬の部屋には分解された清一色人形があった。
 多分アレを元に色々研究したんだろうから、動作の1部は呪も絡んでいるだろう。
 …そうなると、あの人形は化学と妖力の結合という事で立派に『禁忌』であり、造った捲簾と天蓬も第1級重罪人なのだが、捲簾はその辺は全く気にしていない。少しは気にして欲しいものだが、何だかんだ口は出しても捲簾は天蓬のする事を本気で止めた事はないのだ。混ざった事は多いが。
 ぱたん、とゴジョーの頭の蓋を閉めて、八戒は嬉しそうにゴジョーを見る。
 羨ましそうにカミサマが口を尖らせた。
「いいなあ、いいなあ!ねえ悟浄、アレ僕に頂戴」
「やらねえよ!」
 悟浄は勢いで叫んだ。
「…ケチ」
 しゅん、とカミサマは沈んだ。
「あれ?」
 そこでようやく悟浄は気付いた。
 カミサマは悟浄に人形が欲しいと言った。
 何故ならば、アレは悟浄への誕生日プレゼントだからだ。
 しかし。
「…天蓬、捲簾」
 悟浄はカリカリと頭を掻いた。
「何で俺へのたんじょーびプレゼントが俺の人形で、で、俺じゃなくって八戒に懐いてんの?」
「貴方がいないと八戒が不安になるからです」
 天蓬の説明はいつもすぐさま返されて、しかも簡潔で、簡潔すぎて良く判らない。
 悟浄は眉をひそめた。
 何だかヤケにセクシーな表情で、何となくそれを見ていた八戒はドキドキし、彼の心拍数の急変を捉えたゴジョーは不思議そうに八戒を見上げた。
「良く判んねーけど、俺へのプレゼントだったら普通八戒人形じゃねえ?そしたら俺喜ぶんだけど」
 自分の人形じゃあなあ。と、悟浄は真っ赤な髪の人形を見る。
 天蓬は無表情のまま呆れたように吐息をついた。
「貴方は人形じゃなくて生身の八戒がいれば良いでしょう」
「…そりゃそーだけどね…でもさ、俺も昨日みたいに独りで出かけるしさ…」
 言いながら、でも自分が人形連れて賭場に行く様子を想像してちょっと萎えた。
 あからさまにヤバイ人だ。
 天蓬はちらりと捲簾を見上げた。
「…お互い離れた時」
 捲簾は口端だけ上げて、悟浄を見ながら口を開いた。
「自分に八戒人形が有って慰められてるのと、自分の手元に何も無くっても家で八戒が慰められてると思うのと、お前はどっちが良い?」
 悟浄はマジマジと同じ顔の男を見た。
 賭場に出て。
 八戒と離れてサミシイのは、悟浄も同じで。
 だから、八戒の声を出す人形なんて有ったら、多分凄く嬉しい。
 ヤバイ人だと思われても、きっと持ち歩いてしまうだろう。
 でも、悟浄は慰められても。
 その間、八戒は独りであの部屋で待つのなら。



 それよりは。
 八戒が、サミシくなければ。
 家に残した八戒が笑ってくれれば。
 それだけで悟浄はサミシイ気持ちも消える気がするのだ。
 望むのは。
 胸が痛いほど望むのは、八戒の笑顔。


「そっか」
 悟浄は呟いて、捲簾に対して照れたように笑って。
「そっか」
 もう1度言った。
「誕生日プレゼントは、本人が一番喜ぶ物をやるんだろ」
 捲簾は手馴れたウインクを悟浄に送った。
「そーゆーコトだ」
「…うわ。何だか本気で照れるんだけど俺」
 悟浄は顔の下半分を手で覆う。
「…あー、俺も恥かしい事言ってる自覚有るもんな…」
 捲簾はそう言いながら煙草に火を点けるが、全然照れているようには見えない。流石の面の皮である。
 煙を避けるように横を向いて、捲簾は八戒と話し込む天蓬を見た。
 きっとヤツは恥かしくって悟浄に言えなかったのだろう。そう思うと何だか笑える。
 天蓬が造っていたのは最初っから悟浄の人形だった。
 その意図をちゃんと汲んで、捲簾もそれが良いと思った。
 価値観の相似は今に始まった事ではない。
 捲簾の視線を追って、悟浄も赤の眼を八戒と天蓬とゴジョーに移した。
 何だか凄い美人達が、可愛い人形を挟んで会話している姿は眼福で、大切な恋人と、ぶっきらぼうではあるが優しい隣人に悟浄は幸せな気分で2人に近付いた。


「…な機能が揃っています。それとココに収納されているアタッチメント人肌の温かさと堅すぎない素材を使った優秀なモノで、捻りを加えた単調にならない運動とピストンの強弱できっと独りの夜にも慰められる
「何の話だーッ!!やっぱりそんな機能付けてたのか天蓬!!」
 ほのぼのムードを投げ捨てて悟浄は天蓬の胸倉を掴み、天蓬は酷薄そうな眉を軽く吊り上げた。
 困ったように八戒がその手を止める。
「悟浄…天蓬は僕が寂しくない様に人形に色々な機能をつけてくれたんです。そんな手荒な…」
「機能の意味が判ってないならちょっと黙っててくれ八戒…」
 胸倉を掴まれるがままにさせていた天蓬は、不意に唇を吊り上げた。
 腰…というか海綿体直撃の妖艶な微笑に、しかし悟浄は何だか背筋を寒くした。
「…ゴジョーの声の録音をするのに、ちょっと人形に手を加えるんですが…」
 何だか悪魔の取引のように天蓬は小声になった。
「その時に人形の眼のカメラに録画機能を付けようかな…って思ってるんですよねえ…」
 悟浄の顔から表情が抜け落ちた。
 と言う事は。

『ああ…悟浄…!』
 超高性能南極2号(古い)で、悟浄のいない間己を慰める八戒の痴態が、至近距離で録画されたビデオを好きな時に楽しめるという訳だ。

 悟浄の手からも力が抜けた。
「協力シマス」

 悪魔に魂を売った瞬間であった。



「…天蓬のヤツが八戒を気に入ってるの、知ってんだろーに」
 煙草を灰皿で消しながら、捲簾は小さな声で呟いた。
「そんなの付ける訳無いだろ」
 その忠告は悟浄には聞こえない。
 捲簾も聞かせるつもりではない(聞かせてやれよ)
 まあ。
 悟浄も嬉しそうだし。
 当初の目的は達成されたと捲簾は満足気に息をついた。




 それから。
 長安の町で『可愛らしい人形を腕に抱えて、魂を引っこ抜くような綺麗な微笑を浮かべて買い物をする八戒』が凄い噂になり、いきつけのスーパーに観光バス用の駐車場が出来た事はまた別の話になる。

はい。アホなマンションシリーズでした(自覚アリ)。そういえばカミサマも清一色も人形持ってるんで、八戒にも持たせました(凄い理由)
それにしても…誕生日だってのに報われてないな悟浄…やっぱり捲天は出張るしな…