×
066.赤の色
 宙に舞う野菜を、天蓬はぼんやり見つめていた。
 細い真っ直ぐな腕はしかし立派な男で、重い中華鍋を簡単に振っていた。細く切られた野菜は1切れたりとも鍋からこぼれない。綺麗に円運動を見せながら熱を通されている。
 その間にも片手は封を切っていた麺を鍋に投入していた。空の袋はそっちに視線もやらないまま三角コーナーに捨てられ、すぐに箸を握り替えた八戒は更に麺にも熱を通す。
 自分ならまず袋はその辺に置きっ放しだろうな、と煙草を咥えて天蓬は思った。捲簾の料理を見ていてもそうだが、彼らは何かをそのままにはしない。きちんと決着をつける。すぐ手の伸びる位置に台布巾が置いてあって、隙を見つけてはその辺りを拭く。
「もうすぐですから」
 肩越しに振り返った自分と同じ顔が微笑む。
「気にしないで下さい」
 肩を竦めて天蓬はそう返した。
 煙草に火を点けるのは止めておこうと思う。



 昼近く。気絶から覚めた天蓬は咽喉の渇きを覚えた。
 冷蔵庫にはマメな同居者が飲料を欠かさないが、天蓬の最近のブームである『ジ○ア・れもん味』などある訳が無い。
 どうしようかと思って、鈍い頭痛に額を抑える。気絶する寸前、何だかヤケに騒がしかった気がする。だから完全に落ちきれなかったのだろう。
 額を抑えながら天蓬はマンションのエントランス横にヤ○ルトの自販がある事を思い出した。自分がどうやら長めのズボンを穿いている事を確認すると(つまり、上は臍近くまであって、下は腿の半ば近いという意味だ)側のフード付き上着を引っ掛けて外に出た。
 その上着がシースルーであるのは、彼的にもこのサイト名的にもお約束である。結果元帥閣下は袖と丈だけは長いシースルーからチラチラと生肌を覗かせてエントランスに参上し、そこを鼻血の海に変えるとジョ○をお買い上げになって満足したように微笑むのだった。
 面倒臭がりで、面倒な余り食事すらしない天蓬にしては珍しい行動だった。
 凝り性ではあるが執着しないという矛盾した性質の天蓬は、普段であればそんな風に飲み物1つで外に出はしないだろう。
 ジョ○を片手に、天蓬は剥き出しの腹に片手を当てて僅かに考え込む顔になった。
 暫く何やら考えた天蓬は、エレベーターに乗り込むと、階数ボタンを押す。
 光った数字は、彼の住居よりも1つ上の数字だ。
 最上階の其処には、天蓬と同じ顔の住人がオマケをつれて住んでいる(天蓬視点)
 1フロアまるまる所有している為、フロアに1つしかない呼び鈴を天蓬が押すと、少しして扉が開いて、彼と同じ顔が隙間から覗いた。
「あれ、天蓬?」
 珍しい、と八戒の目が大きくなる。
「貴方が独りで来てくれたのって初めてですよね」
 八戒が天蓬を拉致って連れて来るか、捲簾が引っ張って連れて来るかどちらかでないと中々天蓬は自分から動かない。
「そうでしたっけ」
 覚えてないと言いたげに天蓬は肩を竦める。
 彼に限って覚えてない事など有り得ないのだが。 
 そのまま、天蓬はさらりと口を開いた。
「お腹すいたんですけど、今捲簾いないんですよ。何か食べさせて貰えます?」
 自分で作れ。
 今度こそ驚いた八戒は、しかしそう思って驚いた訳では勿論ない。
 すぐに柔らかく口端を持ち上げた。
「僕も丁度お昼にしようかなと思ってたんですよ。どうぞ」
 大きく開かれたドアに、天蓬はさっさと足を踏み入れた。



 同じ顔ながら生活能力のまるでない天蓬の世話を焼くのが、八戒には楽しいらしい。大抵彼が『御飯まだなら一緒にいかがですか』と1階下の天蓬を尋ね、天蓬は『いつの分の御飯のことでしょう』と笑顔で返し、問答無用で連れ去られる事となる。
 天蓬が空腹を訴える事は珍しい。
 この時間にまだ八戒が御飯を食べていない事も、珍しい。



「はいどうぞ」
 目の前に山盛りに出された焼きうどんに、天蓬は嬉しそうに笑った。
 この部屋に置きっ放しになったマイ箸を握って、上目遣いに八戒を見る。
「醤油味ですか?ソース?」
 何かをねだる時にしか滅多に見れない天蓬のぶりっこ目力に、八戒は頼もしげに断言した。
「焼きうどんはソースです!」
 やっぱり嗜好も同じなんだと天蓬は感動した。
「そーですよねえ、常識ですよね。捲簾なんて僕に一言の断りも入れずに醤油掛けるんですよ!」
 作って貰っててこの言い草だ。
「あ、やっぱり。僕も悟浄に作るときは醤油なんですよ、あの人醤油派なんで。あの2人も似てますよね」
 八戒はそう答えると、ちょっとだけ視線を落として微笑んだ。
「…ありがとうございます。天蓬」
「何に対しての礼ですか?」
 平然と天蓬は返す。八戒の微笑は今度は完全に苦笑になった。
「僕が悟浄と喧嘩したんで、慰めに来てくれたんでしょう?」
 八戒は持ち上げたばかりの箸を下ろす。
 食欲がある様には見えない。きっと、天蓬が情けなく、態度だけは偉そうに転がり込んで来なければ、昼を抜いていただろう。朝食も食べたとは思えなかった。
 天蓬が気絶する前、上階から聞こえたのは珍しく激昂した悟浄の声。
 窓が開いていたのだろう。単語までは拾えないが、声のトーンだけは判った。
 その時、同じ部屋にいた捲簾は天蓬に視線もやらずに部屋を出て行った。
 きっと、彼は悟浄を部屋から引きずり出して頭を冷やさせに行ったのだろう。同じ顔で自分に懐く悟浄を、兄貴分の強い捲簾は放って置けないようだった。
 起きてすぐに上階を思い出し、ジョ○を自分への口実に部屋を出た天蓬も、結局は彼と同じなのだ。
「普通はご馳走になった僕がお礼を述べるんでしょうけどね」
 モグモグと口を動かしながら天蓬はクールに言う。
「別に僕はあのチューリップ頭が何叫んでようがどうでも良いんです」
「チューリップ…」
 八戒は一瞬詰まってからクスクスと笑った。
「赤くてオカッパでぴったりでしょう」
 暴言を吐きながらお茶で咽喉を潤して天蓬はやっと咽喉が渇いていたことを思い出した。
 そういえば黄色いプラスチックの容器は、ストローも刺されずにテーブルに置きっ放しだった。
「…どうしてあの人を怒らせてしまうんでしょうね」
 八戒はポツリと言った。
 彼の視線は湯気を立てているうどんに注がれたままだ。
「あの人の事を、僕は殆ど知らないんです。現在は知っているから過去はどうでも良いって言うけれど…きっとあの人は過去に何かあって、それが人格形成に凄く影響を与えている気がするんですよ。例えばあの人の髪が綺麗だって言うと、あのひとの表情は笑ったまま固まってしまうし、そういう風に何が言ってはいけない言葉なのか、そういうのも判らなくて…でも言いたくない事を追求しても煩いだけだとは思うし」
 まるでうどんに話し掛けるように八戒は呟き続ける。
 天蓬もジ○アに視線を流したまま黙々とうどんを食べていた。
 お互いの視線は交わらない。
「あの人を知りたいって思うのは、煩いだけの僕のエゴなんでしょうか。昨日は…ちょっと、つっつき過ぎたみたいで…怒らせちゃって」
 そこまで言って、八戒は言葉を失った。
 もう何の言葉も出てこなくて、上目遣いで天蓬を見る。
 その表情が視界に入ってしまって、天蓬は内心溜息をついた。
 これに弱いのだ。この表情に。
「予め言っておきますけれど、僕に相談しても無駄ですから」
 酷い言い方をして、天蓬は今度は実際に吐息をつく。
「僕は他人を知りたいとは思いませんし、他人に僕を少しでも知られると思うと我慢出来ないタチなんで。でも…あの河童は違うでしょうね」



 赤い髪と赤い瞳は妖怪と人間の混血の証。
 禁忌と表されるその事象を、地上では知らない者が多いという事を、天蓬は下りてから知った。
 天蓬が濫読する天上の書物には散見される。血筋やら優越にこだわる天界らしい事だ。
 何が禁忌かというと、純粋に生物学的な物らしい。容姿は似ているとは言え他種族と生殖行為を行うことに対しての根源的嫌悪感もあるのだろうが、ウェイトで言えばその間の子供の遺伝子の不備に寄る事が大きい。
 種族を超えるとままある話だが、短命だったり病気に弱かったりDNAが弱くて第3世を生み出せなかったりする。動物であれば形状よりも模様に混血の証が強く出る。髪の色というのはそういう面で証が出易いのだろう。
 その、禁忌というのを、多分八戒は知らない。
 悟浄は、それを知られることを恐れているのだろう。馬鹿馬鹿しいと天蓬は思う。何が生物学的禁忌だ。実の姉と近親相姦を繰り返したら、それで生まれた子供はそれこそ生物学的に禁忌だろうに。
 平気でそれを乗り越えてしまった八戒に、今更禁忌に対する嫌悪感なんてないだろうに。
 しかし、それが恐れというものなのだろう。
 理性では大丈夫だと思ったって、経験してきた迫害の記憶が留まらせる。体験した事は忘れ辛い。
 悟浄のような者は特に。



「チューリップの球根が、ヒヤシンスやクロッカスと違う所って何処だか知ってます?」
 突然の天蓬の問題に、八戒は目を瞬かせた。
「えっと…何でしょう。大きさや植え付ける時期でしょうか。水栽培の可不可とか」
 律儀に返答を返す八戒に、天蓬は緩く首を横に振った。
「違います。チューリップはひねくれてて生き汚いんです」
 それはさっき悟浄をチューリップ頭と呼んだ事と関係があるのだろうか、と八戒はちょっと遠い目をした。
 何だか悟浄の悪口を言っているようにしか聞こえない。
 実際そう言ってるのだろうが。
「球根の植え方は知っていますか」
 次の質問だ。
 八戒はなんだかグルグルと考えながらも取り合えず答えた。
「先の尖っている方を上にして土に埋めます」
「正解」
 優秀な生徒を前にして、天蓬教授は満足げに目を細めた。
「それが正しい植え方です。ヒヤシンスやクロッカスはそうしないと育たない。けれどチューリップだけは、上下逆に植えても芽を出すんです」
 それは初耳だった。
 思わず八戒は身を乗り出す。彼も知識はある方なのだが、何せ天蓬とは読書量が違う。
「下向きになった球根の先から、こうUターンするみたいに芽が伸びて、土から顔を出すんです。普通よりは時間が掛かりますが、それでも花は咲くんですよ」
 八戒は、ゆっくりと天蓬の顔を見た。
 天蓬の視線は、今度は逸らされていなかった。
「最初は下向きに伸びますし、随分ひねくれた伸び方をするんです。でもそれは地面の中の話。真っ直ぐに咲く為の花なりの試行錯誤ですね」
 例え暗い地の底で、伸びようとする方向が更に暗く沈んでいっても。
 いつか上向きになり、光の下で花を咲かせられるように。
 真っ赤な、綺麗な花を誇らしげに皆に見せ付けられるように。
 それだけ、その花は元々強いのだ。
「僕は…」
 八戒は細い声を出した。
「チューリップはそんなに手を掛ける必要はないです」
 空になった皿を前に、ごちそうさまでした、と天蓬は礼儀正しくお辞儀をした。
 つられて八戒も頭を下げた。
 頭を上げて、半ば機械的に立ち上がった八戒は、食後のお茶を天蓬の湯飲みに注ぐ。
「水さえ与えれば大抵大丈夫でしょう」
 自分の湯呑みを満たしていくその緑色の液体を見ながら、その色が映ったかのような碧の目を八戒に向けて、天蓬は微笑んだ。
 珍しく素の微笑だった。
「後はソコソコ栄養あげてれば言う事ないですね」
「たとえば?」
「うどんに醤油みたいな」
 八戒もクスリと笑うと、椅子に座って箸を取った。
 少し食欲が出たらしかった。



 しかし。
「タダイマ八戒!!」
 バターン、と漫画のように開くドアに、八戒の手が止まった。
 その椅子の背凭れごと八戒を抱き締めて、飛び込んできた悟浄が叫ぶ。
「ゴメンな、ゴメンな、俺凄く冷たい事言って!反省してるからお願い許して!」
「うわ、ヘタレ炸裂」
 冷静にその場面を見ていた天蓬は酷い上に的確な事を言い、後ろに来ていた捲簾に頭を小突かれた。
 しかし八戒は、そんな外野の情景を目に入れていない。
 大きく開いた碧の目に映るのは、咲き誇ったような真紅の髪。
「俺さ、ずっとナイショだった事があって。お前に知られるんじゃないかってずっとビクビクしてて。捲簾に『オマエは八戒を信用してない。昔の自分しか信じてないんだ』って言われるまでソレにも気付かなくって、もう本当、ゴメンな!」
「…ちっとも判りません…」
 やっと返された八戒の天然な返答に、抱きついたまま悟浄はガクンと脱力した。
 その髪に、八戒の指が絡まる。
「でも、帰って来てくれて嬉しいです…悟浄、僕もごめんなさい」
 悟浄が顔を上げる。
 その顔に振りかかっている赤の花弁を優しく払って、八戒は空気に溶けそうなほど綺麗に微笑んだ。
 地面の下の頃は、色々あったとしても。
 地上に出たら悟浄はこんなにも真っ直ぐだ。



「…美味しいトコさらったってカンジですねえ、貴方」
 背後の気配に、天蓬は言う。
「それはオマエだろ。美味そうなもん喰ってんじゃん」
 背後の気配はそう返す。
「俺達昨日からほとんど何も食べてねーんだよ。八戒、台所借りて良い?」
 捲簾の呼びかけに、悟浄の髪を撫でていた八戒は立ち上がった。
「僕が作りますよ。まだ残ってるし」
 椅子の背に掛けていたエプロンを翻してまとう八戒の表情には先程までの曇りが完全に消えている。
「まだ食べてる最中だろ」
 手がついてない皿を指して捲簾が言うが、八戒はもうキッチンに向かっている。
「栄養補給は僕の役目ですから」
 ね、と意味深な視線を流されて、天蓬は口端を上げた。
 ふーん、と捲簾は引き下がる。
 妙に鋭い彼は何か勘付くことがあったらしい。
「もしかして焼きうどん?」
 嬉しそうに悟浄が八戒の後を追う。カルガモの親子の図が天蓬の失礼な脳裏に浮かんだ。
「醤油味で2人分ですよね」
「焼きうどんは醤油!ソースじゃ焼きソバみたいじゃん!!」
 悟浄はそう主張する。
 うどんとソバの区別もつかないアホの言い分だな、と天蓬は思い、僅かに顎を上げた。
 逆さに映る捲簾も、醤油派だ。
 天蓬とは違う。



「チューリップとヒヤシンスの球根の違いって判りますか」
 唐突な質問を投げかける天蓬に、捲簾はもう慣れている。
 捲簾の視線が下にさがり、天蓬と合った。
「咲いて綺麗なら同じだろ」
 考える事もない即答。
 天蓬や八戒では辿り着かない思考の飛躍だ。



「その通りです」
 天蓬は頷いて視線を元に戻した。
「お、イイモノある」
 その横を掠めるように、捲簾のそれ自体武器のようなしなやかな腕が伸びて小さな容器をを奪い取る。
 思わず叩き落したくなった天蓬だが、気分を変えて、自分の買ったジ○アを飲ませてやることにした。
 先程の気の利いた返答の褒美だ。
 


 うどんを食べたら自分達は部屋に帰り。
 悟浄は八戒に自分の出生を打ち明けるだろう。
 そして八戒は、悟浄が驚くほど平然とソレを受け止めるだろう。
 そういった事が、悟浄を真っ直ぐに育てていく栄養となる。
 価値観はそれぞれ違うのだ。
 自分にとっては重大でも、あっさり受け入れられる事もある。
 焼きうどんに入れるソースのように。
 そんな違う2人が時々同じ価値観を持ったりするからまた面白い。



「出来ましたよ」
 八戒が、捲簾の分のうどんをテーブルに置く。
 悟浄は自分の分を嬉しそうに運んで来た。
 そのすらりと伸びた長身の上でチューリップのように咲き誇る赤に、天蓬は視線を数秒留めると、煙草を探しにポケットに視線を戻した。
「コレ八戒が買って来たヤツ?」
 飲み終えた黄色い容器を机に置き、捲簾は天蓬の横の椅子を引く。定位置だ。
「ジョ○ですか?天蓬が持って来たんですけど」
「そ」
 その割には飲んでも咎められなかったな、と顔に判り易く書いて捲簾は天蓬を見る。
 どうせならやっぱり怒れば良かったと不穏なことを思う天蓬を横目で見て、捲簾はくしゃりと笑った。
「結構美味いな」



 こういう事があるなら、お互いを知るのも面白い。 
 天蓬も小さく笑った。

マンションちっく。何だか元帥イイ人です(驚愕)
ジョ○のれもん味が好きなのも、焼きうどんはソース派なのもシホそのまんま。