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036. 見かけたあのこ
 政府高官筋である金蝉の元に手紙が届いたのは一昨日。
『暇でしょうから遊びに来ませんか』という、挨拶も無ければ相手の予定も全く配慮しない、味もそっけもないメモのような文が、しかし差出人らしい見た目も艶な乱れ文字で流麗に書かれていた。
 天帝に関する式典が目前でクソ忙しい中。
 何度も言うが政府高官筋の金蝉に。
「…泥棒がアジト明かすな…」
 眉間に定位置の皺を寄せながら、しかし金蝉は誘いを受けることを即決していた。
 ムカつく事だが、金蝉はこの腐れ縁の幼馴染の誘いがどうも断れない。
 退屈極まりない式典の、全く気分の乗らない準備も飽き飽きだ。
 という事で、地図を頼りにふらふら別荘地に来て。
 そして、その幼馴染の誘拐現場を見てしまったのである。




 玄関の扉を開け、鍵も掛けていないその無用心さに歯噛みし、金蝉は目の前のガラスの扉を開けた。
 ルーズに伸びた目の前の黒髪に向かって叫ぶ。
「焔!!」
 呼ばれた焔はゆっくりと金蝉に振り返り。
 その身に纏うのがいつもの羽織ではなく純白の新婚さんエプロンであり、手に持つのが大剣ではなく泡だて器で、もう片手にはボウルだという視覚の暴力に、ひ弱な金蝉は床にへたり込んだ。


「金蝉、息災か」

「…テメエを見るまではな」

 口数の少ない2人のやり取りは異様に擦れ違う。
 感情の無い焔の色違いの瞳は神秘的で美しい。細身の姿が外を一望できる大きな窓から差し込む逆光に照らされるのがまた写真のように綺麗でもある。だがエプロンがまずギャグだ。
 似合っているのが普通に嫌である。天蓬辺りが身に纏えばきっとヤバイくらい似合うのだろうが(しかしきっと裸エプロンだろう。断言出来る)いくら細身でも焔はガタイがしっかりしている。これが更にガタイの良い野郎である捲簾が着ていたら『意外と似合うじゃねーか』位に笑い飛ばせるのだが、焔だと非常に微妙な辺りがやっぱり暴力だと金蝉は思う。
 モザイクを掛けてくれないものだろうか。
「…どうした。息を切らして」
 焔のその言葉に金蝉はハッと顔を上げた。
 問題はエプロンじゃない。
「天蓬と、捲簾が…」
 まだ荒れた息の下で、金蝉は何とか言葉を紡ぐ。


 落花の中。
 目の前で。


「…さらわれた」


 何も出来ずに、立ち竦んでいるだけだった。
 非力な己。


「天蓬と、捲簾が…?」
 その2人に誰よりも近い焔は、僅かに黄金の目を細めた。
 それを見ていられずに、金蝉は顔を伏せる。
 その耳に、焔の声が届いた。










「触られた?」

「死ね!!!」






 思わず立ち上がってしまった金蝉の前で、焔は相変わらずの無表情のままボウルの中身を何だかとてつもなく慣れた動作でかき回した。
「いや、天1人ならばいくらでも例があるのだが、2人一緒というのはな…」
「違うっつってんだろ!!!」
「…世の中には様々な種類の嗜好を持つ者がいるという事だ金蝉。蔑視は良くない。よく言うだろう、そう『蓼喰う虫も好き好き』…」
「テメエはおばあちゃんの知恵袋か!!!そんな話じゃ無ェんだよ!!」
「ああ、あの蓼を俺はずっと『ダテ』だと思っていたな。俺は蓼という物をよく知らん不勉強者なのだが、やはり苦いか辛いかする植物なのだろうか…」 
「天蓬に聞け天蓬に!!っつーか、だからヤツは誘拐されていねえんだよ!!
 
落ち着け金蝉。

「抵抗してたが…最初に催涙ガスみたいな物を使われていた。そのまま車に乗せられて、それで…!」
 流石に焔が若干目を見開いた。
「そ…」
    












「それなら俺も見た」






 ゴン、と鈍い音を立てて金蝉は再び床に崩れ落ちた。
 ボウルを掻き混ぜる手を再開させながら、焔はふむ、と頷く。
「奇遇なものだ。俺も丁度ここの窓からな…ここは眺めが良いからな。下の道などははっきり見えるぞ
「じゃあテメエは呑気に何してんだこのボケ!!」
「メレンゲは角が立つまで泡立てるのだ」
「誰が一言メモを欲しいって言った!!」
 コイツ嫌だ。
 金蝉はがっくりと床に崩れ落ちた。
 その床に放射状に広がった金髪を焔は見下ろし…視線を窓の外に向けた。
 外が良く見える位置。
 焔は下の様子をはっきり見ていた。
 通りかかった金蝉が立ち竦み、慌てて隠れたのも、はっきりと。
 焔は視線を金蝉に戻すと、泡だて器をボウルから抜いて、その柄の先端で窓辺のボタンを押した。
「ついでだ。料理を手伝うと良いぞ金蝉」
「何が良いんだ!!」
 玄関に突然開いた落とし穴に数人の男が飲み込まれていった悲鳴は、防弾のガラス越しに金蝉には届かなかった。






「…格好悪いなあ」
 後ろ手に縛られてモゾモゾ身体を動かしながら捲簾は嫌そうに顔を顰めた。
「うーん、流石に防毒マスクの準備はありませんでしたからねー」
 やはり後ろ手に縛られた天蓬は平然と答える。
 コイツの事だから直に『携帯マ〜ス〜ク〜』とか作るんだろう。何故か大山の○よの声で捲簾はそう思った。
 2・3回身体を捩り、天蓬の縛られ方を見て見当をつけた捲簾は身体を捻ろうとして目を半眼にする。
「…何してんのオマエ」
 捲簾の首に顔を摺り寄せていた天蓬は、いつも通りの冷静な眼差しで、胸元から捲簾を仰ぎ見た。
「眼鏡が落ちるんです」
「…あっそ」
 縛られた腕では、眼鏡を押し上げる事も出来ない。
 捲簾の肩が一番手軽なのだ。
 吸引力のある天蓬の眼差しからあっさりと視線を逸らし、横を向いてつまらなそうに部屋を見回す捲簾の平静っぷりに天蓬はしばらく彼を上目遣いで見上げた。
 来る者は拒み、去るものは追い、振り向いたら更に拒む天蓬女王である。
「…だからナニしてんのって」
 鎖骨を噛まれて捲簾は呆れたように天蓬を見た。
「そういうつもりじゃなかったんですけどねー」
 天蓬の気を引く為にわざと邪険な態度を取るというのなら話は判る。
 駆け引きは天蓬の得意中の得意だ。
 5分もしないうちに、視線だけでも、と無様に請う本性を表に出させる事も可能。
 駆け引きを弄する相手には、対抗心が湧く。
 それはもう競争心でしかなく。
 けれど。
 捲簾が邪険な態度を取る時は本当に天蓬に関心が無いのだ。


 非常にムカツク。


 競争心を燃やした所で眼中にも入れないのだ捲簾というヤツは。天蓬を前にしても。
 だから、天蓬も駆け引きを考える必要は無い。
 捲簾を動かそうと企むのも馬鹿馬鹿しい。
 普段は放っておいて、こうやって、自分がその気になったときに自分から動けば良いのだと、天蓬は対策方法をもう取得している。
「…オマエ今の状況判ってる?」
 脱出方法を考えていたのだろう捲簾は、邪魔されても別に怒らない。 余裕だ。
 

 ソレがまたムカツク。
 むかついてるのに、顔が綻ぶ。


「拘束プレイって感じですかね。それとも監視カメラの盗撮に燃えます?」
「…悪くねーけど」
 視線をきっちりと合わせて、捲簾は口端を上げて特別魅惑的に笑って見せた。


 やっぱりムカツク。


 その顔を見たくなくって、天蓬はピントがぶれる位に近付くことにした。
 唇が接触したのは、まあ、もののついでというヤツだ。






 捲簾の戦闘服は軍服だが、流石にその格好で毎日外をうろついている訳ではない。
 だが、どんな服でも可能な限り着崩すのがどうやらポリシーである彼は、今日もドぎついマスタードイエローのシャツの飾りボタンを胸元やや下めでルーズに留めているのみ。天蓬の敵ではない。
 自分のボタンは中々留められない程の不器用な天蓬ではあるが、後ろ手に縛られたままあっさりと口でボタンを外す辺りは異様に器用だ。
 そのまま鼻歌でも歌いそうな調子でズボンのボタンを咥えて外した天蓬を見下ろして、捲簾は珍しく困ったように仰向いた。
「…何だかさー。スゲエ言いたくないんだけどさー」
 無言で天蓬はファスナーの金具を咥える。言いたくないことなど聞く必要が無いというのが彼の持論だ。
 だが、次の言葉は聞こえてしまった。


「…今日、何のために俺たち外に出たっけ」


 クッキーやパイを買いに出掛けたのだ。甘いものが大嫌いの金蝉が来るから。ケーキは焔に頼んだから、ソレ以外の甘い甘いモノ。
 がばりと天蓬は顔を上げた。
 悪戯を仕掛けていたにも関わらず、全くいつも通りのキレの眼差し。
 その光に珍しく見惚れてしまった捲簾は、直後ショルダーアタック(旧ザク並)をかました天蓬の攻撃を珍しくマトモに受けて床に転がった。
「何くっついてんです。ココ何処だと思ってるんですか」
 女王発言その1。

 転がった捲簾は大きく溜息をついて、床に手をついて起きた。
 縄抜けなんて本当はいつだって出来るのだこの男は。
 痛えなあ、と顔を顰めて肩を竦めて、捲簾は天蓬を見た。
「…金蝉来るんだろ。久しぶりなんだし、早く帰ってやろうぜ」
「はあ?金蝉?」
 そう言えば彼も来るんですよね、と呟いた天蓬のその表情は何となく演技では無さそうなのが怖い。
そんなのはオプションです。焔がチョコレートケーキ焼くんですよ?焼きたてじゃなきゃ僕は嫌です
 女王発言その2。
 っていうかオマエが金蝉を招待したんだろうが。オプションか奴は。
「まあいいや。とにかく帰ろうぜ」
 あっさり金蝉オプション化を承認
して捲簾は、腕時計から細い糸鋸を引き出した。
 何だか色々持たされてるヤツである。
 やっぱりさっきのシチュエーションはちょっと勿体無かったな、と思いながら、捲簾は取り敢えず天蓬の腕を解放した。
 




「…通報はしなくていいのか、って…お前らも警察を頼れる立場じゃねぇもんな」
「お尋ね者というやつだな」
「威張るな」
 その頃。
 別荘の中では金蝉と焔が相変わらず不思議系な会話を繰り広げていた。
 会話に進展は皆無だ。
 進展しているとしたら、金蝉がピンクのエプロンをつけてチョコレートを湯せんしている位だろう。甘い香りに金蝉の眉間の皺も20%増だ(天界比)それでも言われた通りにゴムベラを動かしている辺りお坊ちゃまらしい素直な育てられ方を彷彿させる。
「何か出来ねぇのか?手をこまねいているのは嫌いなんだよ」
「こまねくと言うよりは、熱を伝えているボウルの底に擦り付けるようにするのだ」
「チョコの溶かし方じゃねえんだよ!!」
 罵倒しながらも金蝉は言われた通りに手を動かしている。いっそ微笑ましい光景だ。
「作っているうちに帰ってくる。待っていると良い」
 焔に微笑まれて、金蝉は顔を歪めた。
「…お前は心配じゃねえのか?」
 そう口にしてしまってから、すぐに『いや、俺は心配している訳じゃないが…』とかゴニョゴニョ呟く金蝉に焔の口端は更に上がった。
「警察を通さなくても、あのクソババアに知らせれば話は早い。そんな事をしなくても俺の家のヤツに極秘で探させればいい」
 観音に借りを作るのは非常に不本意ではあるが、それでも天蓬の安全とは比べ物にならない。
「優しいのだな」
 純白のエプロンを翻し、背景に流れる点描を打って焔が王子様の微笑みを浮かべ、金蝉は羞恥に赤くなるのと寒気に青くなるのを器用に1度でこなして不思議な顔色となった。





 監禁部屋のドアを難なく破った捲簾と天蓬は、長い廊下の窓から外を見た。
 見慣れない風景ではあるが、見当はつく。周囲の林の様子からして、先ほどの別荘地からそうは遠くはないだろう。この辺りは川が少ないから、傍を流れている小川は多分別荘の横を流れる河と同じだ。こちらの方が川幅が狭いので上流なのだろう。これを下れば帰れる。
 会話をしないまま2人は同時に同じ認識を持ち、そして同時に目を合わせた。
 隠すつもりもない足音が複数。
「…薬なんて卑劣な手で僕を拘束した報いを受けてもらいましょうか」
「…せっかくイイ感じだったのにヤれなかったのは全部ココの奴らのせいだ
 そんな理不尽な。
 2人はまた、同時にニヤリと笑った。
 どう見ても悪役はこちらの2人だった。





「まあ確かにあの2人は強いのかもしれんが、薬相手では…」
「やはりナッツ類にはクルミを混ぜんとな」
 まだやってたのかお前ら。
 相変わらずブツブツ不満そうな、心配そうな事を言いながら金蝉は全く聞いていない焔を手伝っている。
「さて。オーブンを予熱してくる」
 しゅるりとエプロンを解いて椅子の背に掛け、焔は金蝉に断った。
「…オーブンはソコにあるだろう」
 部屋の隅を顎で指して金蝉は不審そうな顔をする。しかし焔は表情1つ動かさなかった。
「予熱といったはずだ。アレではまだ熱が足らん。外でもう少し薪を足してくる

「熱源は薪なのか…」

 金蝉は低く呟く。何せ彼は箱入り引き篭もり系お坊ちゃまだ。元々庶民の生活など知らない。あっさりと納得してしまった。
 もしかしたら悟空の猿脳が感染したのかもしれないという可能性は否定できないが。
「その間そのケーキ型に入っているモノを2・3回机に落としてくれ。中の空気を抜くのだ」
「…何で俺が…」
 言いながら金蝉はいそいそとケーキ型の置いてある机に向かう。それだから天蓬に部屋の掃除をさせられるんだっての。
 それを横目で見て、焔は廊下に出、大剣を握った。
 家の周りに張り巡らせたトラップも、そろそろ尽きる頃だった。
 




「…またツマラヌものを斬ってしまった…」

 戻って来た焔がエプロンを身に纏いながら呟き。
 外の見えないテーブルの傍でケーキ型から空気を抜いていた金蝉は眉を跳ね上げた。
 薪は詰まらない物なのか、と焔の不思議な分類に思いを馳せ、金蝉は空気を抜いたケーキに視線を戻し、やや満足げに頷いた。





「あの、あのルビーを象嵌した獅子像は我々が先に目をつけていたのだ!ソレを横から掠め盗りやがって!!」
 監禁されていた屋敷の奥深く。
 あっさりとソコに辿り着いた捲簾と天蓬はあっさりと幹部を前に立って、誘拐の動機を聞かされていた。
「…つまり、何だ?天蓬」
 腕を組んだ捲簾は横に聞き。
あッたま悪いせいで簡単な策も練れなくって僕らのように手早く仕事が出来ずにしかもソレを逆恨みするしかない低脳かつ後ろ向き極まりない集団の愚痴ですので聞いてあげる必要性は微塵も認められません」
 天蓬は視線を壁のほうに向けたまま、一息で言うとさらりと優雅に髪を掻き上げた。
 超暴言のくせに、その場の男達は一瞬怒気を消滅させてしまった位の優雅な仕草だった。
「な、な、何だと貴様ら…」
「はい動かない」
 するりと捲簾の右手に銃が出現する。手品のような早業だった。
 噂に名高い神業に、数では10倍以上いる窃盗団は竦んでしまった。
「コイツらはアジト辿れたのに白竜王の軍は掠りもしないんだよなあ」
 捲簾は吐息をつく。蛇の道は蛇というヤツだろうか。それとも西方軍が平和ボケしすぎて能力低いのだろうか
「獅子像なんて盗ったっけ?」
 盗むまでのスリルを愛するが、モノ自体に非常に執着のない捲簾は首を傾げ、やはり横を向いたままの天蓬は頷いた。
「僕が風呂には口からお湯を出すライオンが無くちゃヤですって言ったじゃないですか」
「あー!フロにあるデカイ顔な!!」
 思い出して満足する捲簾の前で、窃盗団らは白く燃え尽きていた。
 秘宝と言われた美術品をそんなのに使うな。
まあいいや。車1個貰ってくな。取り敢えずは暴れたから気が済んだし」
 窃盗団は真っ白のまま頷いた。彼らを止めようとした部下らは10人単位で半殺しになっている。車1台で自分らが助かるなら安いものだ。もう2度とコイツらには手を出さないぞ、と窃盗団らは思った。
 だが。

「ヤです」

 あっさり断ったのは何故か天蓬だった。
『目には目と歯を。歯には歯と目を』という不平等な法律の遵守者である天蓬だ。汝の敵を愛すどころか右の頬を殴られたらまず股間を蹴り上げた挙句に動けなくなった相手をいたぶり倒す性格である。
「何、オマエまだ気がすまないの…って、何処見てんだよ」
 天蓬はこの部屋に入った時からずっと壁を見つめていた。
 その部屋の全ての人間が天蓬の視線を追う。
 そこに掛かっていたのは美しい刺繍のされた鮮やかなミニタペストリー。
 それに繊手を差し伸べて、天蓬は捲簾を見上げた。




「僕、アレが欲しいです」




 子供か。
 



 捲簾は、ガシガシと頭を掻いた。
「仕方ねえなあ」




 OKなのか。




「だ…駄目だ!!アレは西王母の直縫の仙女交友図!!我らがどれだけ苦労したと…」
「僕、あのランチョンマットじゃないと御飯食べませんから」

「しょーがねえなあ」
 だからOKするな捲簾。

 天蓬もその駄々の捏ね方は何だ。しかもランチョンマットに使うな
「ソレだけは何があっても守るぞ!!」
「死んでもだ!!」
 一瞬で殺気立った男らが2人を取り囲む。何だかタペストリーにとってはココで飾られていた方が、不器用な天蓬の食べこぼしに塗れるより幸せな気がするのだが。
「勿論、同業者相手に盗りません。そーですねえ。こちらからはこの男1人出します。そちらは全員で掛かっても構いません。で、彼が勝ったらソレ頂きましょう」
「オマエそういう時俺の意向完全無視だよな」
 捲簾はぼやくが、勿論天蓬は彼の言った通りに完全無視だ。
 まあ、捲簾自体も別に異議がある訳ではない。暴れられるし。
「…それで!?我らがその男を嬲り殺したら?」
 頭目の唸り声に天蓬はメガネを押し上げた。
「お風呂のライオンさんは気に入ってますからね。お渡しできませんが、その代わり」
 碧の目が、魔性の輝きを持って男らを見上げた。
 艶やかな唇が笑みの形にカーブし、しなやかな両腕が身体のラインを示すように己の身体をなぞる。





「10発でどうでしょう」





「は?」
 魅了されていた男らは口を開きながら聞き返した。
 魅了されていなくても天蓬の言葉は意味不明だ。
 天蓬は周囲の火傷しそうな視線を一身に集めたまま、淫蕩に微笑んだ。
1人10発。この身体、試させてあげますよ」






「かかれ―――――!!!」

「あの男を殺せ――――!!!」


「…煽るんじゃねえよ…」
 捲簾は前に1歩出ると肩越しに天蓬を振り返って、溜息混じりにそう言った。
 そんなに嬉しそうな顔してたら、溜息ついて見せたってこの状況を楽しんでいる事は歴然だと天蓬は思いながら、流れ弾を避けて重厚な頭目の机に座ってタバコに火を点けた。
 人はそれを高みの見物と言う。
 そのタバコはそのうち、灰皿が隣にあるというのに机に押し付けられて消される運命にある。
 




 そして。





「ただいまvいらっしゃい金蝉v」
 笑顔であっさり天蓬は金蝉に挨拶をした。上機嫌である。
 拉致されたことに対するプライドの傷が、相手をけしかけて捲簾に半殺しにさせた上に戦利品を分捕ったことで満足したのだろう。まりかけたものを更に掻き回す非常にはた迷惑な性格だ。
「お帰り、天。ケーキは今オーブンから出した所だ」
「焼きたてですねv」
 天蓬は非常に幸せそうに笑うと、いそいそとテーブルに自分のランチョンマットになったミニタペストリーを引いて、ケーキの乗る皿を受け取った。
「…大丈夫だったのか…?」
 脱力したような、ほっとしたような表情で金蝉が幼馴染に声を掛ける。
「何がです?」
 それに本気で尋ね返され、金蝉は首を横に振ると隣の椅子を引いた。
 その金蝉の手にあるのは切り分けられたケーキ。
「あれ。珍しいですね。甘いものは食べないのに」
 きょん、と首を傾げた天蓬に鼻を鳴らしてみせて、金蝉はフォークを手に取った。
「もっと味わって食え。俺が手伝ったんだ」
「うわ。ますます珍しいですねー」
 長い睫毛を瞬かせて、天蓬は笑う。
 いつもの笑顔。
 変わらない。





「…無事なら別に良い」
 ぶっきらぼうに呟いて、ケーキを口に運び、金蝉は非常に不味そうな顔をしながら更にもう1切れフォークに刺した。
 そんな様子を見ながら、天蓬は更にふわりと微笑んだ。
「…ありがとうございます」
 その碧の目は幼馴染を映していて。
 視線を向けていない手元のフォークから、ケーキの欠片がマットに落ちて刺繍を汚した。





 そして。
 そんな2人を見ながら、捲簾は焔からケーキを受け取った。
「…目撃者だ」
 焔の短い説明で、捲簾は察して。
「サンキュ」
 ケーキを受け取りながら、ケーキに対してだけではない礼の言葉を口にした。
 焔は、金蝉の足止めをしてくれていたのだろう。
 金蝉が己をどう思っていようと、彼の立場は『観世音の甥』だ。
 その言動は必ずオオゴトになる。
 金蝉がルパン一味と親しいという情報は一部の者が知ってはいるが、それがあからさまな事になれば金蝉の立場に関わる。
 李塔天が金蝉を人質に取ったことを、金蝉自身は忘れても天蓬は忘れない。オオゴトになれば、また金蝉に危害が加えられる可能性がある。
 天蓬の意向ははっきりしている。金蝉の立場を守る事だ。
 となれば、焔の役目は2人を救いに行く事よりも金蝉の足止め・口止め。
 そう判断して、焔は玄関のロックを含め、全てのセキュリティを解除して金蝉を迎え。
 その後、セキリュティを復活させてルパン一味の残り1人を狙いに来る襲撃者を、金蝉に悟らせないまま次々に倒して行ったのだ。
 天蓬には捲簾がついている。
 それであれば、焔は天蓬の心配をする必要は全く無い。
「コレ食べたら、家の周り片付けておくか」
 襲撃の跡を、カモフラージュする時間が焔には無かったから。捲簾はそう言う。
「感謝する」
 微笑んだ焔の後頭部を、スプーンを咥えたままの捲簾の大きな手がぐしゃぐしゃと掻き回した。
「ばーか。ソレはこっちのセリフだっての」
 あけっぴろげな捲簾の笑顔に、焔が珍しく声を立てて笑った。
 天蓬を守ってくれたことに対する礼はいくら言っても言い足りないのだが。
 きっと捲簾にとっては、それこそ礼を言われる類のものではないのだろう。
 焔のために守った訳ではないだろうから。
「焔ー!おかわりーv」
 女王の声に、ケーキナイフを手にして焔はいそいそ天蓬の元に向かった。
「…味わえって言ってるだろーが!早ぇんだよ!!」
 こう見えて健啖家な天蓬に、隣から金蝉はブツブツ文句をつける。勿論天蓬は聞いていない。
「大体目の前にあるケーキじゃねえか、自分で切れ!」
「いいんです」
 キッパリと言う天蓬の横にピッタリと焔が付いた。
 どうでも良いがまだエプロンを付けているのだが焔。
「そう。構わないぞ天蓬!俺はお前に仕え、お前のために動く時がこの世の至福…お前の笑顔を受け、このような取るに足りない俺でもお前のその至高の存在の役に立てるのだという陶酔感はそれだけで麻薬のように俺の心を犯す…とはいえこのケーキナイフを持つ右手でお前のその穢れ無い左手を掴みケーキ入刀をやってみたいという俗物めいた企みが俺の心から離れないのはやはり至上のお前を思う俺の心に世俗の欲が混ざっていると言う、悟りきれていない俺の未熟さの発露なのだろうか…」

「大きめに切って下さいね」

 全てを聞き流して天蓬は注文をつけ、ケーキナイフですら見事に切り分ける焔から注文通りの大きいケーキを受け取ると、焔の色違いの瞳に真っ直ぐ視線を合わせて微笑んだ。
「ありがとうございます」
 




 付き合いの長い焔だ。
 天蓬は、全てを察して言っていると。
 それ位すぐに判った。
 捲簾と同じ礼の言い方だな、と。
 焔はそう思って優しく微笑み返した。
 天蓬も、満足そうにフォークを握る。
 隣で、金蝉は自分が手伝った甘いシロモノを、相変わらず不味そうに平らげようとしている。
 捲簾は食べ終わって、皿をキッチンに置くと、その場の空気を乱さないまま何時の間にか消えた。きっと事後処理だろう。帰る金蝉の為に、何も無かったようにするのだ。
 心地良い周囲の雰囲気。
 心地良い人達。
 大きなケーキをもう半分の大きさにした天蓬は、紅茶を注ぐ焔を上目遣いで見上げた。
「ケーキ美味しいですし、焔には何かお礼しなくちゃいけませんね」
 眉をちょっと上げて、焔はポットを机に置いた。
「では、1つ教えてくれるか?」





 どんなアクシデントがあっても、 どんな事をして帰って来ても。
 全てが平穏な生活。


「蓼とは何だ?」


 金蝉が下を向いて、珍しく肩を震わせて笑った。

ルパン小ネタでした。焔アホです。アホと見せかけて格好よくてやっぱりアホです。捲簾はマイペース、天蓬は女王、金蝉は天然。シホの平和な天界像ですな。