「世の中には、片付けられない症候群という病気が存在してるってご存知ですか?」

 そう言うと、ソファの上に寝そべりながら本を読んでいた美貌の男はにっこり笑って斜め上を見上げた。
 驚くほど綺麗な顔をした男の部屋が呆れるほど汚いという現実は、大抵の場合其の事実を目の当たりにした人間を一瞬思考麻痺に突き落とす。
 この美貌の男がこの軍で自分の副官に納まってから毎年毎年同じ光景を見ているが、毎年毎年人は違えど判で押したように同じ反応をするというのは、きっとそういうことなのだろう。窓から差し込む光の中をキラキラと光るものが舞っている、というのは表現だけなら美しいが、まごうかたなき埃が舞い上がっているだけだ。
 いっそ爽やかなと言って良いほどの笑顔を見つめてドアの所で硬直した可哀想な新人の肩を次々に叩いて、雑巾だのモップだのを持った下士官が人の悪い笑みを浮かべて通り過ぎてゆく。

 12月30日、師走年の暮れ、この日は西方軍では毎年恒例の「大掃除の日」なのである。

「はいはいはい、新人いじめはそれくらいにしとけ〜、お前もいい加減もどってこいや」
 このまま放って置いても良いのだが、それでは当初の目的である『天蓬元帥の部屋の掃除』が完遂されない。いくら気がついた時に自分が掃除をしてやっているとはいえ、1年1度今が積もり積もったホコリ一掃のチャンスなのだ。
 捲廉は大掃除という名の作戦を遂行する為に声を掛けた。
「す、すすすすみませんっ!元帥のお部屋を担当させていただきますっ、入室してもよ
ろしいでしょうかっ!」
 自軍大将に背後を取られ背中を叩かれて、硬直しきっていた今年の新人が慌てて声を上げた。
 既に涙目である。

「ああ、毎年毎年新人(ルーキー)が禊のように僕の部屋の片付けにまわされるんですけどね〜、ぶっちゃけ必要ないんですが。」
「あああああ、あの・・・」
 入室を許可しているのかしていないのか曖昧なままの返答に、入っても良いものか迷った新人が縋る様な目で見上げてくるのに憐憫の目線を送り捲廉はため息をついた。
「何でもかんでも病気にしやがって、お前のそれはただのズボラだズボラ!ほらさっさと始めんぞ」
 そういって天界軍最強の噂も高い捲廉大将はバケツと雑巾片手にルーキーの肩を押して、これまた天界軍最高の頭脳と美貌を謳われる天蓬元帥の執務室に足を踏み入れたのだった。


 1時間後。

「もう良いからお前どっか行ってろ!全然片付かねぇじゃねえか!!!」


 そう唸って捲廉は天蓬の首根っこを猫の子よろしく捕まえた。
 一般的な拭き掃除や掃き掃除を天蓬ができるわけも無い事は判りきっているので、床に山と積み上げられた資料と本とをあるべき所に戻す作業だけを参加させていたのだが、手に取った端から読みふけるので全然話にならない。
 よもや棚に収まっていた筈の本まで出して読んでいるのでは無かろうなと疑いをかけつつ全然片付かないどころか、天蓬の左側から右側へ異動しただけの山を見やる。
 2人では手に負えないとこの段階で掃除員は3名ほど追加され、足されたメンバーも各々ハタキだ箒だ雑巾だを持ちながら後ろで力強く頷いていた。
「なんで僕が自分の部屋から追い出されなくちゃいけないんですか」
「追い出してるんじゃありません元帥!」
「そうです!大浴場の掃除が終わったらしいので、どうせなら綺麗になったところで一番風呂を元帥に使っていただいてはどうかと!」
「そうです!!そうですよね、大将!なんだったら大将もご一緒に!ここは俺たちに任せて!!」
「そうなんですか?」
「「「そうです!!」」」
3 人が見事にハモっているのが必死さを表していて、何だか悲壮感すら漂っていた。
 胡乱気に見上げる天蓬と縋るような目で『早く連れて行ってくれ』と無言の訴えを起こしている忠実な部下達からの圧力に、もうこれは致し方ないと両手を挙げて「どこへでもお供しましょ」と捲廉はため息をついた。


「大体なんだからって大掃除。毎年思いますけど、年末に大掃除なんて軍隊なんだから軍事教練でもやってりゃ良いのにおおそうじ。意味不明ですよ」
「まあ、これも一種の教練なんだろ。風紀を正して新しい年を迎え、規律を正して気合を入れるっつー」
「棒読みになってますよ貴方。」

 5分後西方軍自慢の大浴場(何故か隊舎にシャワールームではなく浴場が完備されているのも西方軍の七不思議の一つだ)へと続く廊下を歩きながら天蓬はお風呂セット一式(黄色いアヒルつき)を抱えなおした。
 歩く道すがら、忠実な部下達に「ごゆっくり!」と声を掛けられ何をゆっくりするのかとそれはそれで納得いかない天蓬である。
 風呂場で二人きり、何をゆっくりなのか。ある意味全く「良く出来た部下」達だ。
「なんだかほんとに皆して僕の事邪魔者扱いしてませんか」
 拗ねたように口を尖らせる。そんな顔をしても美人は美人でなんだかんだとすれ違い様に頬を赤らめる者も数名いるのを横目に見て捲廉は笑って言った。
「まあ、邪魔だけど居ないと困るってとこなんじゃねぇの?」
「貴方に言われたくないですねぇ」
 もはや憮然とした表情でぼやく天蓬に捲廉は今度こそ盛大に噴出したのだった。