「有り得ないな」
「あり得ませんね」


 そりゃそうだろうとお互いの顔を見合わせたまま、視線も逸らさず負ける気どころか折れる気だってさらさら無いのがお互いによくわかる。
 端から見たら、ナンだまたいつものヤツかと言われて終わる、ここ最近では金蝉の居室の(ほぼ)名物となった光景だ。
 懲りもせず飽きもせず、ほぼ毎回些細な理由で繰り広げられる舌戦は、子供のケンカと変わりない。
 話題が深刻でない時の方が真剣そのもので言い争っていると言うのはどうなのか、とか、なんでそれを毎度毎度自分の部屋で行うのか、とか、その上なんでこの部屋の備品である、しいては自分の物であるはずのソファ(しかも結構お気に入り)に我が物顔で美貌の元帥がふんぞり返っているのか、とか色々言いたい事は在ったが、この部屋の本来の主である金蝉はそれを口に出して言うような労力の無駄を好まなかった。


「うるせぇから、他所でやれ!」
 一言だけ言い置くと処理途中の書類にもう一度目を落とす。
「ちょっと、金蝉貴方、何他人事みたいな顔してるんですか」
 むっとした顔で咥えた煙草を上下に揺らした天蓬は組んだ足を高く上げて組み替えた。
「そりゃ他人事だからじゃねぇのか?」
 腕組みをしたまま、ソファの対面の壁に寄りかかっている背の高い男が戯けたように返す。
「あなたになんか聴いてませんよ」
「ったって、今ケンカしてんの俺とお前だし」
「そりゃそうですけど、売って来たのは貴方で原因作ったのも貴方でしょうに」
「根本原因作ったのは俺じゃねぇよ、『ごーじゅんかっか』だ、『ごーじゅんかっか』」
 しかも、と一拍置くとわざとらしく腕を解いて、ずい、と顔を寄せた。
「その『ごーじゅんかっか』に意見陳情しやがったのはお前だ、お・ま・え!」
 しかるに根本的な原因はやはりお前にある、と言いきって捲廉は、己が咥えた煙草を先ほど目の前の美人がやったように上下に振ってみせた。
『気に入らない』とあからさまに書いた顔で目を眇めると天蓬はふーっと煙を吐き出した。
「誰の所為でそんな事言わなくちゃいけなくなったと思ってンですか。」
「誰の所為だよ」
「さあ?胸に手を当てて考えたら良いんじゃないですかね?」
「わからねぇなぁ」
「へぇ、そんなに僕の上司の頭が空っぽだとは思いませんでしたよ」
「イヤならやめれば?俺の部下」


 沈黙が落ちた。


 言っちゃいけない科白と言うのはどんな時でも在る物だ。
 地雷は常に目に見えないところに潜んでいるから地雷なのだ。
 凍り付いたように動きを止めた天蓬に突然、ここ最近のこの二人の言い争いの真意に気づいてしまった金蝉は馬鹿どもがとため息をついた。
 どうしてこう、大事な事ほど誤魔化そうとするのか。


 この二人も自分も。
 誰もがそれぞれの望まない結末を回避しようとしている。


 それが解っているのに。


 あまり口が上手くない自覚もある金蝉は早々にこの場を退却することに決め、「しばらく出てくる勝手に使え」ともう一度盛大にため息をついて部屋の扉を少々乱暴に閉めて出て行った。
 その途端、部屋の空気が更に冷える。


「ヘラヘラ笑ってりゃ済むと思ってたら大間違いですよ、貴方。覚えてなさい」


 地獄のそこから響くような軽やかで極寒の笑みを浮かべた天蓬に「俺お前の笑った顔、結構嫌い」と捲廉がこちらも笑顔で切り返す。


 きっと、いつまで経ったって平行線だ。


 最後に捲廉が引っ張り出したい科白を慎重に避けながら。
「笑うな。」
 天蓬は極上の笑顔で吐き捨てた。