その昔、いわゆる『ハジメテの朝』というヤツで、起きてみたらば、天蓬一人だった事がある。
現在少し離れた窓際で、呑気に煙草を吸いながら、朝の空気なんぞを味わっているのがその時の男だ。
大概の人間は『読める』天蓬が、唯一掴みきれない謎の男がその男(=捲廉)だった。
「起きた?」
「起きました。」
うつ伏せのまま観察していた天蓬の視線に気づいた捲廉が振り返る。
「なんだよ、ご機嫌斜めだな」
おや、と言うように片眉を上げておどけたような表情(かお)をつくると、捲廉は苦笑した。
天蓬と付き合うのは、気まぐれな猫を構うのによく似ている。
それを良く理解している捲廉は無理に触れてこようとはせずに、様子を伺っている。
「何だかムカつく事、思い出してました」
乱れて頬に落ちかかる黒髪を掻き上げて、天蓬は自分も煙草を咥えた。
そのままの姿勢で、一定の距離から近づいてこようとしない捲廉に焦れたような視線を投げつける。
やれやれとでも言うような顔で近づく捲廉は、肉食獣の獰猛さを隠そうともしていない。
天蓬の言っている事が自分の事だと微かにも思い当たらないであろう捲廉に、口移しで煙草の火を貰うと、煙と一緒に吐きだしてやった。
「本当に、貴方ってムカつくって。」
顔面に吹き付けられた煙と唐突な科白の理不尽さに、捲廉の形の良い眉が顰められている。
ほんの少しでも、不機嫌にさせられた出来事の仕返しをして天蓬はほんの少し溜飲を下げた。
不機嫌にもなろうと言うものだ。
だって間違えた。
天蓬元帥ともあろう者が。
あの朝、其処に居なかった男は、数時間後に悪びれもせず部屋にやってきて、次の出陣の事なんかを話して、ついでに今夜の予定まで話して帰って行った。
『貴方、寝た相手全員にこういう事してんですか?ていうか、名前すら知らないで寝てそうですけど』
呆れて言った天蓬に、今と同じような顔で捲廉は返したのだ。
『だって、名前なんて知っちゃってて朝までなんか一緒にいたら、情が移って困るだろ?』
『は?』
『困るだろうが』
『・・・・・・・・・貴方が?』
『いや、相手が』
『・・・・・・・・・・・・・・・・成程。』
困る理由の掛かる主語が違っていたのだ。
最初から。
ここへ来て意味をずっと取り違えていた事に天蓬は気づいてしまった。
情が移って困るのは本気に成った相手の方だけで。
この目の前の男は誰にでもすぐに与えられる情を持っているくせに、与えた情ごと置き去りに出来るのだ。
逆も、また然り。
全く理解に苦しむ。
今となっては、この男を理解する事よりは異星人と話をする方が余程簡単な気が天蓬はしていた。
あの時自分が言った言葉を思い出して、天蓬は思わず笑いがこみ上げた。
「何だよ」
不機嫌だった筈の天蓬が突然笑い出したのに、流石の捲廉も戸惑ったらしい。
さっぱり解らないと肩を竦める姿に、また笑いがこみ上げた。
「やっぱり、貴方の事少しも好きじゃありません、僕。」
天蓬がにこやかに告げた科白に、「それ言われたの、2度目だな」と捲廉が笑った。