朝起きたら、布団が冷たかった。
 理由は1つだ。独り寝のせい。
 最近本当にご無沙汰な寝方で、本気で足先が冷たい。
 オンナノコ程体温が高くない八戒だって、やっぱり居るのと居ないのとでは違うらしい。
 


 昨日の八戒は、ずっとキッチンに立って、ずっと主婦業をしていた。
 構ってvって後ろから抱き締めても、適当にあしらわれて、またそれが珍しく本当にテキトーで、つまらなくって早めに稼ぎに出たってのに、帰って来てもやっぱりキッチンにいて、「お休みなさい」なんて言われて追い出されてしまった。
 暫く冷たい布団の中でゴロゴロしてたけど、やっぱり八戒は来なかった。
 本当は、太陽をいっぱい吸い込んだ布団は僅かに暖かくて、全然不快じゃないんだけど。
 それでもやっぱり寒い理由なんて明確すぎて考えたくもない。



 ちょっと、八戒に会うのが躊躇われた。
 どうせ気まずいのは俺だけなんだろうけれど。



「はよー…」
 洗面所へ向かう途中、ちょこっとだけキッチンに声をかけて。
 そのまま逃げるように洗面所に行こうとした俺は足を止めた。
 キッチンのテーブルに乗り切らない程の皿。
 いつもは出さない客用(ほぼ悟空専用)テーブルにも満載されている。
「何人前だよコレ…」
 今日、あの猿が来るのだろうか。聞いてなかったけど。
 これだけ作ろうと思ったら、そりゃ一日中キッチンに立ちっぱなしだろう。
「おはようございます」
 ぼけー、っと突っ立っていた俺は、八戒の柔らかな声音の挨拶に我に返った。
 気後れしてたのに、すっかり忘れてた。
「何コレ…」
「出資者は、三蔵なんですよ」
 八戒は珍しく見当違いな返答をした。
 碧の眼が、自分の力作を見つめている。
 そう言えば、まだ眼を合わせてないな、と思って。
 少しだけ胸が痛かった。
 俺は何かしたんだろうか。
 だから、八戒は昨日からこんな態度なんだろうか。
「猿に、食べさせんの?」
 喉に引っかかったような声が出ちゃって、俺は誤魔化すように髪をかきあげた。
「え?」
 やっと八戒の眼がこっちに向いた。
 きょとん、と丸くなった瞳は、やっぱり綺麗だった。
 それから、何だか困ったように視線が泳いで、もう一度俺に当った。
「違います」
 大分高くなった太陽の光が八戒の髪を薄茶に透かしている。
 暖かそうだ、と反射的に思った。
「貴方に…」
「俺?」
 こんないっぱい食べれるかって俺。
「…お誕生日、おめでとうございます」



 その瞬間、俺はきっと表情を無くしたと思う。
 忘れてた。
 忘れようとしてて、ずっと小さかった頃から忘れようとしてて、努力の甲斐あって最近は本当に忘れていた。
「忘れてるかな、って。思ってたんです」
 八戒は、困ったような顔のままちょっと笑った。
 俺の、させたくない顔ナンバーワンの顔だった。
「…あ、祝ってもらった事無かったから」
 フォローしようとして、俺は更に八戒を困らせるような事を口走った。
「でも、僕はお祝いしたかった」
 それでも八戒は、俺を真っ直ぐ見て、そう言った。
「貴方がお祝いされなかったって聞いて、それが悔しくて、僕がその頃会っていたら絶対、絶対お祝いしたのに。貴方が生まれてくれてありがとうって、貴方の存在が僕にとっては奇跡だって、そう言ったのに」
 八戒は、そう言って少しだけ泣きそうな目をして、一歩だけ俺のほうに踏み出した。
 俺は一歩なんてもんじゃなく八戒に近付いて、その薄い肩を抱き締めた。
 八戒の細い指が、俺の背中にしがみつく。
 薄いシャツ越しですらその指は冷たい。
 冷たいのに、俺は何だか暖かくて。
 その暖かさが、胸の奥にずっと仕舞いこんでいた昔からの冷たいものを溶かしてくれるようで。
「だから、あれは子供の頃からの悟浄の誕生日祝いなんです。生まれた年から、一年ずつ。0歳から22歳までの23回分。僕がお祝いして、良いでしょうか」
 山盛りのご馳走。
 ちっちゃい頃の大好物だった唐揚げ。
 子供が好きそうなバターケーキ。
 大人になってからは上等なシャンパン。



「ありがと、八戒」
 これだけ近くに居るから、大声はいらない。
「ありがとう」
 生きることを許してくれて。
 俺に価値をくれて。
「でも、やっぱり食いきれねーから、俺が全種類食べたら猿とクソ坊主も呼んでやろうぜ」
 ご馳走の理由なんて、出資した三蔵にはバレてるだろうけど。
 皆で俺の誕生日パーティーをするのも悪くない。
 あの2人には巻き込まれて貰おう。
 まずは八戒に祝って貰ってから。



「やっぱり、ちょっと多過ぎましたねえ」
 俺の胸元から首を捻って、八戒はテーブルの力作を見る。
 何を今更。
 俺は少しだけ離れた八戒の頭を抱え直して顔を埋めた。
 ちょっとだけでも離れないで。
 寒かったんだから。
 だから、今日はあっためて。
「俺の22年分だろ?今年は豪勢にしようぜ。…来年からは、1年分で良いからさ」
 だから、来年も、再来年も、こうやって祝って、あっためて。


 
 俺の胸に顔を埋めたまま、八戒は強く頷いた。
 背中に縋る指は、さっきよりずっと温かくなっていた。
 こうやって、お互い暖めあえれば。
 来年ももっと暖めあえれば。


 
 俺は22にして初めて
 誕生日に今年の抱負を立てた。